下田市観光ガイド 『ペリーロード』 | ||||||||||
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ペリーロード(下田市) |
★『ペリーロード』をご覧になるにあたって | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
泰平の 眠りをさます 上喜撰! 文明開化の匂いが漂う伊豆下田の町にあって、とりわけ風情のある佇まいをみせるのが、その昔「マシュー・ペリー提督」が歩いたとされる、『ペリーロード』です。 どんなに日本史が嫌いな方でも、この名を知らない方はいないというくらい有名なペリー提督は、江戸時代、徳川幕府の鎖国政策により国交が途絶えていた日本を、力づくで開国へと導いたことで知られる人物です。 当時の文献などには、オランダ色の強かった幕府の影響もあり、「ペルリ」という表記で、数多くその名が登場しています。 1853年に、ペリー率いる、旗艦「サスケハナ号」をはじめとしたアメリカ海軍「東インド艦隊」が、浦賀沖に現れた事件は、「黒船来航」として広く知られており、この圧倒的な力関係により、開国を余儀なくされた江戸幕府は、翌1854年3月31日に、神奈川にて全12か条に及ぶ「日米和親条約」を締結しました。 この歴史的大事件は、当時の狂歌にも、「泰平の 眠りをさます 上喜撰(じょうきせん) たつた四杯で 夜も眠れず」と詠われたほどで、その事の大きさを表しています。 マシュー・ペリー提督! この日米和親条約により、下田と函館(旧:箱館)の2港が開港となり、下田にはアメリカ人居留地もつくられることとなりました。 その後、交渉の舞台は、開港間もない下田の「了仙寺」へと移り、約2ヶ月の交渉の末、5月25日、細則付加条約として、全13か条の「下田条約」が締結されました。 この下田条約の中には、後に運命的な舞台として、歴史に大きく左右されることとなった「玉泉寺」と「了仙寺」が、アメリカ人の休息所として解放されることや、日本初の外国人墓地となるアメリカ人墓所を、玉泉寺に設けることなどが盛り込まれていました。 そんな現代の日本の幕開けともなった下田条約締結を前に、現在「ペリー艦隊来航記念碑」が建つ下田港に降りたペリー一行が、了仙寺へと向かい歩いた道が、この「ペリーロード」です。 ペリーは、日米和親条約締結後、6月に入るとこの下田を後にしました。 ペリー60歳の時のことでした。 あまり知られていませんが、この後ペリーは、母国アメリカへ帰国すると、3年後の1857年には海軍を退役し、自身の記録でもある、一般に「ペリー遠征記」と言われる、「アメリカ艦隊シナ近海および日本遠征記」の編纂に残された人生を注力し、書き上げた3ヶ月後の1858年3月4日に、63年の生涯を閉じました。 日本の開国を成し遂げ、その記録を残すとともに去って行ったペリーにとって、この「ペリーロード」周辺の光景はどう写っていたのでしょうか。 花街だったペリーロード! そんな開国の歴史舞台にも登場する、この下田の「ペリーロード」は、下田港から了仙寺までの、平滑川沿いの約700mの道のりをいいます。 現在は、柳並木の川沿いに、アジサイなどの花がポツポツと咲いており、石畳とガス灯が特徴的な、とても雰囲気のよい場所となっています。 アンティークでちょっとおしゃれな感じのするこの「ペリーロード」ですが、昔は、この一帯は、「花街」として栄えていたところでした。 遊郭や料亭が建ち並び、華やいだ雰囲気の中、ほろ酔い気分で行き交う人々で賑わっていた「ペリーロード」周辺には、そんな往時の姿を偲ばせる建物が、いくつか残されています。 当時、下田一の芸者と言われ、後に数奇な運命をたどる事となった、あの「唐人お吉」が開いたお店である「安直楼」(あんちょくろう)も近くに残っており、幕末から明治にかけての街の姿が、わずかながら垣間見ることができます。 過度の期待は・・・ 現在の「ペリーロード」は、映画やドラマのロケ地として親しまれている「柳橋」をはじめ、伊豆沿岸部の町では定番の「なまこ壁」の建物や、「伊豆石造り」と呼ばれる、この地方独特の風情ある建築物が残っており、その雰囲気を生かした、特徴的なお店がいくつか見られます。 かつて遊郭だった建物を生かした骨董店や、日本家屋の雰囲気が心地よい地中海料理のお店、芸者の女将が営む高級日本料理店に、輸入雑貨や陶器・アクセサリーなどのアンティークな品々に囲まれた雰囲気の中、珈琲を味わえる喫茶店などなど、実にさまざまな趣向のお店が集まっています。 そんなことから「ペリーロード」は、下田市内観光の途中の休憩所としても、ちょっとした時間つぶしにぷらっと散歩するにも、とても良い場所となっています。 しかしながら、旅行雑誌やテレビでの「ペリーロード」の紹介のされ方が、やや誇張され美化されていることもあるためか、過度の期待から、実際に「ペリーロード」を訪れてみて、がっかりされる観光客も少なくないようです。 名前からもイメージが先行し、横浜や神戸の、どこまでも続くかのような異国情緒たっぷりの街の雰囲気や、物珍しいお店が次から次に建ち並び、多くの観光客で賑わう街並みを期待して訪れた方は、あまりのギャップに愕然とされているようです。 しかしながら、それらはこの下田の街に期待するものではなく、また、この「ペリーロード」の楽しみ方としては、根本的に間違っているようにわたしには思われます。 それは、この「ペリーロード」には、「ペリーロード」なりの楽しみ方があるからです。 わたしが思う、ペリーロードの楽しみ方 伊豆半島の先端近くに位置し、幹線からは大きく外れ、かつて水運の衰退と天城山による地理的寸断から、一時は「陸の孤島」として、文明開化の波に大きく遅れをとった下田の街は、それだけに水運時代の名残が随所に見られる街であり、近代化の波に押し潰されなかったからこそ今に残る街の姿があります。 観光事業のために、過度に手が加わった街並みではなく、実に素朴で自然と佇むこの「ペリーロード」の景観は、時の流れに身を任せ、静かに時を過ごす・・・、そんな楽しみ方ができる場所です。 この「ペリーロード」は、ただ歩くだけなら、ほんの数分で通り抜けてしまい、また何も見るべきところがなく、何も感じることがない場所かもしれません。 それだけに、この「ペリーロード」を楽しむには、最低限の歴史的背景を知りつつ、ただなんとなくぶらりと訪れる感覚が必要なのかもしれません。 わたしは、時を忘れ、当時の下田の街やそこに生きた著名な人物のことを思い浮かべつつ、歴史ある建築物や、川べりに咲く花を見たり、お店を覘いては物珍しいアクセサリーを眺めたり・・・、そんな時間の使い方が出来る方にだけに、この「ペリーロード」をおススメしたいと思います。 ガイドブック片手に、ひとつひとつ塗りつぶしていくような観光をする場所では決してありませんし、最低限、幕末の歴史や、開国時に下田というひとつの町が果たした歴史的役割、そこに生きた人々のことを理解していなければ、結果的には楽しさが半減、いやそれ以下になってしまうように思えるからです。 実に素朴で自然な旅の楽しみ方がここにはあり、このありのままの姿をありのままに楽しむのが、「ペリーロード」の楽しみ方のように思えます。 ただひとつ、この「ペリーロード」を訪れてみて気になったのは、電線と電柱です。 願わくば、これだけは何とかならないものか・・・、目立たなくするか、景観にあったレトロなものにするか、どうにかならないものか・・・と思いました。 そんな「ペリーロード」ですが、夜はまた一層雰囲気のある眺めとなります。 夜のガス灯に照らされた川べりの石畳の道を、あなたも時の流れに身を任せ、ゆっくりと歩いてみませんか。 |
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