国清寺とは?
静岡県伊豆の国市韮山にある、山号を「天長山」と称し、観世音菩薩を御本尊とする、無住の臨済宗円覚寺派の古刹。かつて高岩院・徳隣院・龍泉院・松月院など子院78 末寺300余を抱え、室町時代には「関東十刹」の六位に列せられた。寺伝では1362年に畠山国清の開基とされるが、実際には1342年(暦応説もあり)に、父 憲房公の七回忌に際し関東管領の上杉憲顕が開基、無礙妙謙(仏真禅師)を開山として、元々あった「毘沙門堂」で知られる真言律宗の「授福寺」を末寺として取り込み改宗・修築し創建。境内には「上杉憲顕公顕彰碑」や「開山塔」「開基塔」がある他、天狗伝説や「国清汁」発祥の地としても知られる。
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名 称国清寺
ふりがなこくせいじ ※こくしょうじ(史実)
ローマ字Kokusei-ji Temple
地 区韮山/伊豆の国市(Nirayama/Izunokuni City)
住 所伊豆の国市奈古谷1240-1
お問合せ055-948-0304(伊豆の国市観光協会)
参考HP毘沙門堂
するナビ伊豆の国市の観光スポット
国清寺のPR
国清寺の評価


1関東十刹に数えられたスゴい寺だよ!
境内はもちろん、奈古谷に残る毘沙門堂やかつての子院を巡り、寺の偉大さを知ろう!
2木造 釈迦如来坐像を見逃すな!
よく御本尊と間違えられるが、釈迦堂にある釈迦如来坐像は鎌倉初期の慶派作だよ!
3国清汁発祥の地だよ!
味噌仕立ての精進料理である国清汁。寺の名も史実上は「こくしょうじ」なんだよ!
国清寺 編


国清寺の地図
国清寺の見所

80もの堂宇を有し、奈古谷地区一帯を寺領とし、上杉家の菩提寺として関東十刹にも数えられていたスゴい寺だ。「建穂寺」の衰勢が重なる感じだ。

堂内には、鎌倉初期の慶派作で1993年に修復された、木造釈迦如来坐像の他、鎌倉~江戸期の仏像20数体や徳川歴代将軍の位牌などがある。

釈迦堂とは全く異なる雰囲気のお堂で、何かこんな所に畠山国清と上杉憲顕の2人の人物と、このお寺が抱える二面性や複雑さを感じたりもする。

北条早雲の焼き討ちに遭い、その後幕府の庇護を受けるも、かつての大伽藍が二度と見られることは無かった。どれほどの構えだったのか・・・。

円覚寺第12代管長だった、円覚慈雲こと足立慈雲の書による「國清」の石碑と、その左右に観音像と般若塔が建てられている。

姿形は異なれど、どこのお寺へ行っても、同じように佇み出迎えてくれるのは六地蔵だ。なぜか六地蔵の前では、いつも同じ心持ちとなる。

人形供養塔が建つその奥には、1995年に造られた、生活を共にしてきた人形を、読経とともに大自然へと返すための人形供養炉がある。

史実としての正式な読みは「こくしょうじ」だが、現在では「こくせいじ」を正としている。ここにも支配者による史実と土着民との隔たりを感じる。

開基塔として、畠山国清と上杉憲顕の名が刻まれているが、史実は異なる。2人の名が仲良く並んで刻まれているのも、歴史的にみると複雑だ。

後に高岩院住職となった「天狗にさらわれた一兆さん」など、いくつかの天狗伝説が残るが、林の中の塔を見上げていると天狗が出てきそうだ!

山内上杉家の始祖で、初代関東管領として伊豆を治め、菩提寺として国清寺を建立した上杉憲顕。法号は「国清寺桂山道昌」で、この森に眠る。

1368年に、足利陣中に没した上杉憲顕が、国清寺の森に眠っているのは確かのようだが、これがお墓なのかは定かでは無い。

推定樹齢800年と言われる椎の古木がある。国清寺の創建前からこの地に根を生やしていたこととなり、この寺の盛衰を見守ってきた古木である。

シイの木の辺りからは、韮山の町並み越しに富士山が望める。上杉憲顕をはじめ時代を生きた強者どもも、こうして富士山を仰ぎ見ていたのだろう。

アジサイの名所と言われるほどではないが、初夏になると寂しい境内のあちこちに、色とりどりのアジサイが花を咲かせる。

毎年GW頃になると、古刹だからか、どこか気品があるシャクナゲの花が咲く。無住で寂しい境内だけに、花に包まれる時期に訪れよう!

子院の1つで、無住である国清寺を管理しているのが、入口左手にあるこのお寺だ。「毘沙門堂」近くにある「菩薩林」は、このお寺の別院だ。

かつての塔頭の名残で、膝を立てているのが珍しい、安産に御利益のある子育て地蔵。頬を掌で押さえていることから、虫歯にも御利益があるとか!