興国寺城跡とは?
静岡県沼津市の篠山に築かれた、北曲輪・本丸・二の丸・三の丸が一直線に続く、面積約11300㎡の連郭式平山城。1995年に国の史跡、2012年に「ぬまづの宝100選」に選定。築城年は不明ながら、1487年頃には家督争いで今川氏親を助け功をあげた、後北条氏の祖である伊勢盛時(北条早雲)が城主となっていたとされる。その後1537年に今川、1569年に後北条、1571年に武田、1582年に徳川、1590年に豊臣、そして1601年に徳川配下の天野康景が1万石で城主となるも、1607年に出奔・改易で廃城に。
この時期がおすすめ!
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名 称興国寺城跡
ふりがなこうこくじじょうあと
ローマ字Koukokuji Castle Ruins
地 区沼津市(Numazu City)
住 所沼津市根古屋
お問合せ055-934-4747(沼津市 観光交流課)
するナビ沼津市の観光スポット
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興国寺城跡の評価


1幅20mのV字の大空堀をご覧あれ!
天守台から高低差のあるV字型の大空堀に降り、その圧迫感・威圧感を肌で感じよう!
2意外性のある天守台からの絶景を楽しもう!
天守台からの、駿河湾へと真っ直ぐに伸びる興国寺城通りの眺めを楽しもう!
3北条早雲の出世城だよ!
早雲旗揚げの城で、ここから関八州240万石まで上り詰めた後北条氏ゆかりの城だよ!
興国寺城跡 編


興国寺城跡の地図
興国寺城跡の見所

「浅野文庫蔵諸国古城之図」による興国寺城の絵図だ。南北一直線に並ぶ曲輪の様子と、個々の繋がりがよくわかる。

案内板の写真は、ハッキリ見えずわかりにくいものだ。上のGoogleマップの航空写真を見れば、現在の興国寺城の様子はわかる。

根方街道から望む興国寺城の全景。現在は単なる草むらに見えるが、手前から三の丸・二の丸・本丸・天守台と続いている。

根方街道を挟んだ南側の三の丸部分に、中央に橋が架かり祠が建つ池がある。水辺で橋で赤鳥居というと・・・やはり弁天様か?

本丸
元々この地に建っていた興国寺にその名の由来があるという城の本丸跡は、現在は地元の人が散歩で立ち寄ったり、ドッグランで訪れる人が多い感じだ。眺めも良く気持ちの良い場所なのは、犬も同じか・・・。このロケーションを活かしつつ、今後どのように整備されていくのか、個人的にも楽しみだ。

初代城主の北条早雲の碑に並んで建てられているのが、1601年に最後の城主となった天野康景の碑。1607年に出奔し改易、廃城に。

興国寺城の本丸の北側、天守台下に鎮座する穂見神社。1857年に、長野県の高尾山 穂見神社より分祠し祀ったのがその起源という。

重さ110kgの丸石で、明治~昭和初期頃まで、村人たちが肩まで担げるか力比べに興じたとされる石。丸い窪みは掌や指によるものか・・・

この世のすべての霊をこの塔に宿らせ祀り供養するもので、三界とは欲界・色界・無色界、または過去・現在・未来をさすことも・・・

天守台
本丸の北側にある天守台。この天守台からの眺めは素晴らしく、当時の根方街道を行き交う人や、城の周囲に目を光らせていたのであろう。こういうものが現在において残されているから、歴史はロマンがあって面白い。なんとなく見ているだけで、北条早雲と気持ちが繋がってくるからワクワクするのであろう。

西側もそうだが、本丸を囲むように大きく築かれた土塁。現在は、この土塁の手前が駐車スペースという感じになっている。

天守台入口に杖が置かれており、さぞや大変かと思いきや、1分もしないで天守台へとたどり着く。脅しのような感じだが、親切な配慮だ。

草に覆われわかりにくいが、草の間から所々石垣が確認できる。天守台と言われてピンとこなかった人も、この石垣を見れば納得するはず。

2棟の疎石は残されているが、発掘調査において瓦の発見が無いことから、ここに天守がそびえていたとは考えにくいというのが一般論だ。

興国寺城通り
天守台から望む、駿河湾へと真っ直ぐに伸びる興国寺城通りの眺めが、「姫路城」の天守から望む城下の眺めを彷彿させた。規模は違えど、通りの感じが似ており感動した。天守台へは、1分もかからず上れるのに、これだけの眺めとなることにも驚いた。城跡だということを抜きにしても、おすすめの眺望スポットだ!

南北一直線に続く曲輪
天守台から見た南側の眺め。ここから見ると、曲輪が南北一直線に続く様子がよくわかる。北曲輪を受け、本丸より二の丸・三の丸と、多少の段差を伴いながら南へと続いている。印象的なのは、西の櫓台より本丸を囲むように伸びる土塁の凄さだ。

写真では伝わらない!
興国寺城の大空堀の凄さは、全くもって写真では伝わらない。この至近距離での高低差と圧迫感は、やはり直接体験してもらううしか無い。天守台より北曲輪まで階段が設けられており、これが空堀の凄さを体感できて実に良い。橋で渡って上から眺めていては、興国寺城の大空堀の凄さはわからない。

攻めてくる敵と見立てて、ゲーム感覚で空堀を行く人に、天守台よりカラーボールなどを投げてみれば、いかに敵の攻撃をくぐり抜け本丸へと攻め入るのが難しいかがわかるはず。そんなことが親子で楽しめる体験型の施設になるといいな・・・と、以前ラジオで話したことを思い出した。本当ならないかな・・・

まさにV字型の大空堀
大空堀の中へ踏み入ると、両サイドの土手が驚くほど近く切り立って感じられ、V字型の空堀だということを、まざまざと肌で感じる。V字型といいつつU字型に近いモノが多い中、この興国寺城の大空堀は、谷底に突き落とされたかのようなかなりの衝撃を受ける。ここまでの感覚を覚えた空堀はそう無い。

天守台よりV字型の大空堀を抜けると、そこには背後からの敵に備えた北曲輪が広がっている。いずれここも整備されるはずだ。

まだまだ整備途中で夢は続く。「山中城跡」「韮山城跡」「長浜城跡」とともに、後北条氏の城づくりがわかる場所になって欲しい!