河津町観光ガイド 『湯ヶ野温泉』 | ||||||||||
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湯ヶ野温泉(河津町 湯ヶ野) |
★『湯ヶ野温泉』をご覧になるにあたって | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
古き良きいで湯の町「湯ヶ野」 「河津桜まつり」で有名な河津の町の市街地から、「河津川」を「河津七滝ループ橋」のある天城方面へと北上した途中の川沿いに、「鄙びた温泉地」という言葉がぴったりのひとつの温泉があります。 伊勢神宮の民間信仰の神として、また海や川を鎮める神として、広く信仰を集める「天白神」(てんぱくしん)のご神体の巨石のそばに建つ、踊り子の塔看板が目印のその温泉地が、ここ『湯ヶ野温泉』です。 この「湯ヶ野温泉」は、通りから一本裏手に入っただけなのに、時代を忘れさせるかのような静けさが広がっており、川のせせらぎだけが心地よく耳に響く・・・、そんな感じの温泉地となっています。 そこには現代的な温泉街とは程遠い、河畔に古い温泉宿だけが、時代に取り残されたかのように点在し、ただ周囲の自然だけが、四季の移り変わりを繰り返してきたかのような・・・、そんな錯覚さえ覚えてしまう光景が広がっています。 「時代に取り残された・・・」という表現をすると、それは「寂れた」温泉地という印象を持たれがちですが、実際に眼前に広がる光景は、寂れたというよりは、よくぞ時代を生き抜き、現代までこの温泉地を守り続けてくれたなぁ~といった感謝の念を抱くほどのものであり、古き良きいで湯の町の原風景が、今もここに生き続けています。 名作そのままに、「踊子の1」と「榧風呂」 そんな「湯ヶ野温泉」の名を、一躍有名にしたのが、ノーベル文学賞作家である「川端康成」の代表作「伊豆の踊子」です。 「伊豆の踊子」の舞台として描かれたこの「湯ヶ野温泉」には、踊り子ゆかりのものが今もたくさん残されているのですが、何といっても「伊豆の踊子」を語る上で切り離せないのが、「湯ヶ野温泉」を代表する名物旅館である「福田家」です。 この福田家は、川端康成が滞在したことで知られる老舗旅館で、主人公の学生が踊子と五目並べをした部屋が、今も「踊子の1」の名のままに残されています。 せっかく福田家に宿泊するのであれば、是非とも「伊豆の踊子」ゆかりのこのお部屋に泊まりたいものですが、そんな福田家に泊まる楽しみの中で、もう一つ忘れてならないのが、「伊豆の踊子風呂」と名をうった「榧風呂」(かやぶろ)です。 この榧風呂は、明治時代より続く内湯で、 現代風の洗い場らしきものはなく、たった一つのマス風呂と石張りの造りが、時代を感じさせるお風呂となっています。 福田家には、6月にホタル観賞も楽しめる、自然の景観を取り込んだ、かけ流しのすばらしい露天風呂や、きれいな内湯の岩風呂もあるのですが、川端康成が愛し、物語の主人公の学生も、そして踊子たちも入ったこの榧風呂は、そういった類の次元とは異なる趣があり、「湯ヶ野温泉」を満喫するうえで、福田家ともども絶対に外せないものとなっています。 もちろんこの榧風呂も、かけ流しの温泉なのですが、同じ湯ながら歴史の重みがあるこの空間で味わう湯は、どこか違った味わいを感じさせます。 是非とも「湯ヶ野温泉」を訪れたなら、名作を思い浮かべながらこの榧風呂に入ってみてください。 どうしてもこの雰囲気は無理!という方は、近くの町営露天風呂などでも、「湯ヶ野温泉」を楽しむことは出来ますが、泉質自慢の温泉地ではないだけに、やはり榧風呂に入らずして「湯ヶ野温泉」を訪れる意味なし・・・とまで言ったら言い過ぎでしょうが、やはり骨抜きの感はいなめません。 自ら除幕した文学碑 そんな川端康成ゆかりの宿のとなりには、「湯ヶ野までは河津川の渓谷に沿うて三里余り・・・」と、「伊豆の踊子」の一節が刻まれた「文学碑」が建てられています。 この石碑は、この地が「伊豆の踊子」の舞台となったことを記念して建てられたもので、1966年11月に行われた除幕式には、作者である川端康成自身も出席されました。 石碑の脇に建てられた説明文には、「・・・孤独な学生生活の中で、一人、傷心の伊豆の旅に出て・・・大正七年十一月のことで、二日、三日、四日とこの地に宿泊したときのことが物語の中心になっております。・・・」と、物語に至った経緯などの説明が書かれています。 この「湯ヶ野温泉」に川端康成が訪れたのは、1918年のことで、川端康成が19才で、「旧制第一高等学校」に通っていた頃のことです。 それから8年後の1926年、この「湯ヶ野温泉」で過ごした日々をもとに、名作「伊豆の踊子」が誕生しました。 「文芸時代」に発表された後、この名作は、幾度となく映画やドラマで繰り返し映像化されてきました。 今日まで、「田中絹代」「美空ひばり」「吉永小百合」「山口百恵」「高橋英樹」「三浦友和」「木村拓哉」まで、層層たるメンバーが、この「伊豆の踊子」を演じてきています。 この文学碑が建てられた2年後の1968年、ノーベル文学賞を受賞した川端康成は、その4年後の1972年に、自らの手で人生に終止符をうちました。 湯ヶ野温泉 踊子まつり そんな「伊豆の踊子」の文学碑ですが、毎年、春の訪れが感じられる3月には、「文学碑祭」と言われる「湯ヶ野温泉 踊子まつり」が、この石碑の前で催されます。 この踊り子まつりでは、ミス踊子と学生役に扮した青年が、「伊豆の踊子」の文学碑に献花を行い、「湯ヶ野温泉」や「伊豆の踊子」をテーマに詠まれた短歌や俳句の入選作の発表や、マス釣り大会、甘酒のサービスなどが行われます。 いかにも地方のお祭りといった感じで、地元の方々の中に溶け込みながら楽しむ、こじんまりとしたお祭りなのですが、この踊り子まつりは、「辻真先」の推理作である、「伊豆・踊り子列車殺人号」の中でも、重要な場面として登場しています。 興味のある方は、そちらもお読みになってください。 本物の温泉旅情がここに! 全国各地、温泉ブームの名のもとにもてはやされている温泉地は多々あります。 残念ながら、この「湯ヶ野温泉」は、多くの観光客で賑わうようなそういった類の人気の温泉地ではありません。 しかしながら、自慢の料理や現代的なサービスではなく、温泉そのものの歴史や、名作の舞台として、今も変わらぬお部屋や湯舟に想いをはせることができるのが、この「湯ヶ野温泉」の楽しみであり、そこには本物の温泉旅情が漂っています。 物語のストーリーを知らない者が訪れても、どこか「伊豆の踊子」たちの世界を感じ、旅館を後にする時には、名作を片手にしているような・・・、そんな感じにさえしてくれるのが、この「湯ヶ野温泉」です。 通りから「福田家」に向かう石畳の道の橋の手前には、「踊り子の足湯」と名付けられた、趣のある造りをしたひとつの足湯があります。 川のせせらぎに耳を傾けながら、この足湯に浸かり、昔読んだ物語を想い起こすもよし、実際に情景を想い浮かべながら「湯ヶ野温泉」の景色を目で追ってみるもよし、夕食までのひと時、ただぼーっと過ごすもまたよし、思い思いに自分なりの時の過ごし方を楽しんでみてください。 休日でもほとんど人影を目にすることがないこの「湯ヶ野温泉」、おそらく「湯ヶ野温泉」の存在を知らない方が、偶然河津や下田を目指す道すがら足を止めこの地を訪れるということは、まず無いかと思います。 温泉地としては決して喜ばしい状況ではありませんが、だからこそ訪れる者を楽しませてくれる風情が、ここには残されています。 「河津七滝ループ橋」や「河津桜まつり」などに訪れた際には、是非とも足を延ばしてこの「湯ヶ野温泉」に立ち寄ってみてください。 あなたも素敵な伊豆の踊子たちに、出会うかもしれませんよ! |
- 湯ヶ野温泉 - 『旅シュラン』とは?
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