藤枝市観光ガイド 『岡部宿のひなまつり』 | ||||||||||
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岡部宿のひなまつり(藤枝市 岡部) |
★『岡部宿のひなまつり』をご覧になるにあたって | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
突如として現れた、「等身大の雛人形」 何年前のことだったか、生まれてから30歳を過ぎるまで、雛人形など、全くというほど興味のなかったわたしが、山口県の萩の旧家で飾られていた雛人形を見た時に、地域や時代により異なる人形の姿に、ちょっとした興味心を抱いたことを覚えいる。 とはいえ、その後も、雛人形を見るために出かけるということはなく、旅先で飾られている雛人形は見ることはあっても、特別表立って自分が変わることはなかった。 そんなわたしの前に、2006年2月、突如として現れたのが、この『岡部宿のひなまつり』で飾られていた、ひとつの雛人形だった。 たまたま夕方の情報番組を見ていて映ったその人形の姿は、幼い頃から抱いていた、わたしの雛人形という概念を拭い去るのに余りある映像で、この人形の姿に、なぜか心を揺り動かされ、翌日にはすぐに現地へと足が向いていた。 その人形こそ、この「岡部宿のひなまつり」で展示されている、「等身大の雛人形」だった。 そんな気にさせる人形も初めてなら、それ以後、繰り返し見てみたい!と思った人形もこの「等身大の雛人形」が初めてで、未だ他にそういう出会いはない。 そこまでこの人形に惹かれて行った背景には、この人形の持つすばらしさもあるが、今思うと、もっともっと奥深い想いが感じられたからにも思える。 初めて展示されてから年を重ねていくうちに、徐々にこの雛人形の存在が知られていくようになり、今では大手旅行代理店のツアーも組まれるようになった。 でも気になるのが、毎年のように変わる祭りの名称で、どうにかならないものか・・・と思うも、こればかりはどうしようもないことなので、最近使われている「大旅籠柏屋 ひなまつり」ではなく、わたしは最初に出会った時の「岡部宿のひなまつり」を謳いたいと思う。 その背景には個人的な想いとして、地方の一旅籠のひなまつりというスケール感では無い、そんなもんで納まって欲しくないという強い想いがある。この「等身大の雛人形」の凄さ・素晴らしさを、もっともっと地元の方にも分かって欲しいという想いもある。 宿場全体としてのひなまつりというだけでなく、エリア観光の起爆剤になるべく魅力が、この「等身大の雛人形」にはあると思っており、静岡県として外国人観光客向けに海外発信してもよいレベルだと思っている。 現に柏屋での展示が始まってから数年が過ぎ、地域観光の話題作りとして、埼玉県を中心に新たに「等身大の雛人形」がいくつか制作され話題となっている。 その度に「何をやっているんだ~こんなに凄いのが静岡にはあるのに・・・」と、何ともやりきれない想いに胸を締め付けられる。ここの雛人形はその何倍も素晴らしいのに・・・と。 大旅籠 「柏屋」 「岡部宿のひなまつり」は、毎年、東海道21番目の宿場町である「岡部宿」の、「大旅籠 柏屋」(おおはたご かしばや)にて行われる。 柏屋の建物は、1836年に建てられたもので、現在は歴史資料館となっており、すぐそばには、岡部宿の本陣の跡である「岡部宿公園」や、静岡では有名な地酒である「初亀醸造」などがある。 「岡部宿のひなまつり」は、この柏屋で、毎年2月から2ヶ月間開催されるイベントで、全く趣向の異なる2つの雛人形が、この柏屋の部屋いっぱいに飾られる。 その1つが、この「等身大の雛人形」だ。 「よし」が3つで好光! 柏屋において、この「等身大の雛人形」の展示が始まったのは、実はそんなに古い話では無い。最近と言ってもよいくらいの2006年からだ。 実に37年振りに、地元岡部での展示となったその年に、わたしはこの人形に出会ったわけだが、恥ずかしながら初めてこの「等身大の雛人形」を見に行った時に、案内の方に、「あの人形の好光(よしみつ)さんが制作されて・・・」と言われても、ピン!とこなかった。 地元の方は、幼い頃から慣れ親しんだ名前なわけだが、東京育ちのわたしには、「秀月」「久月」は馴染みがあっても、この「好光」の名はピン!とこなかった。 しかしながら次に、「知りません?よしが3つで・・・」と言われ、「あぁ~あの・・・」と、頭の中で1本の糸が通っていくように気付いた自分がいた。 CMの恐ろしさ?とでも言うのだろうか、人形のCMだったということは定かではなかったが、このキャッチコピーはすぐに思い出せ、一気にすべてが結びついていくような感じがして話が見えてきた。 静岡に住む方なら、「顔よし、衣装よし、値段よし。「よし」が3つで好光」のコピーは、ご存知の方も多いだろう。今でもこのCMはテレビで流れているから、相当幅広い年代に受け入れられていると思う。 この「好光」は、農家を営んでいた初代「たけじろう」が、明治の中頃の1896年に、「天神人形」の制作をはじめて以来、4代にわたって100年以上の歴史を持つ 「駿河雛人形」の老舗だ。 もともと旧岡部町をはじめとした志太地区は、天神どころとして知られていたところで、特に衣裳を着た天神さまの制作が有名で、他ではあまり例のないことから、「駿河の天神」とか「志太の天神」とか言われてきた所だ。 その後、雛人形づくりが盛んになっていき、現在に至っているわけだが、「好光」はそんな「駿河雛人形」の名店であり、岡部宿の旧東海道沿いに工房を持ち、静岡の駅前にも店舗を構えるほどのブランドとなっている。 しかしながら、そんな名店の看板以上に、わたしには、あのキャッチコピーの方が、どうやらすり込まれていたようだ。 岡部に生きた、好光! そんな「駿河雛人形」の老舗の2代目で、この「等身大の雛人形」を作ったのが、 「好光」こと、「藪崎好光(好太郎)」だった。 好光は、明治時代の1901年8月6日に旧岡部町に生を受けると、小・中と岡部で学んだ後、先代からはじまった人形づくりの道へと進んだ。 人形師として半生を捧げた後、50歳近くになると3代目へと道を譲り、自らは町議会議員になるなど、活躍の場を広げていった。 そんな中、56歳となった1957年に、「好太郎」から「好光」へと改名をし、ここに「好光人形」が誕生したわけだ。 その後も、人形関連の協会や組合の理事長などの役職を引き受け、人生の成功者として晩年を迎えるつつあった最中、突如、一見道楽とも思える、この「等身大の雛人形」づくりを始めた。 4年10ヶ月をかけ誕生した15体! この「等身大の雛人形」は、「好光」が、4年10ヶ月の歳月をかけ完成させた力作で、当然のことながら、全15体の雛人形の誕生の裏には、数々の苦労があった。 東京の浅草で、歌舞伎の「活人形」(生人形)に魅せられた好光は、自らも制作してみたい・・・という思いが強くなり、この「等身大の雛人形」づくりが始まったとされているが、説明によると、「好光」が65歳の時だったという。 1965年3月に制作にとりかかってから、1969年12月に完成するまでの間、頭部に2年1ヶ月、手足に8ヶ月、持道具に5ヶ月、胴体に1ヶ月、衣装に4ヶ月、そして立花に5ヶ月と、気の遠くなるような時間と労力を費やし、この雛人形が誕生した。 この活人形の制作は、それまで築き上げてきた通常の雛人形の技術とは、全く異なる製法であったため、わざわざ東京の活人形師に師事し、教えを乞うというところからこの人形づくりはスタートしており、特に活人形ならではの苦労も多かったようで、胸や肩などの膨らみ加減は、大鋸屑をノリと混ぜ合わせたものを、塗っては乾燥させ、繰り返し繰り返し納得のいくまで作業が続けられたという。 また、これだけ大掛かりな制作となると、本来の人形制作という技術的な部分以外に、人形本体の運搬や、人間同等の着付けや髪結いの技術など、等身大ゆえの苦労も数多くあったわけだ。 好光は、家族の手も借りながらこれらの作業をひとつひとつ丁寧にこなしていきながら、最小限の人数で制作を続け、1969年12月に、4年10ヶ月の歳月をかけ、この活人形である「等身大の雛人形」を作り上げた。 完成後、お披露目の場として、「岡部体育館」にて、雛段状に飾り付けられ公開されたが、その後は飾るにも相当なスペースと高さを要することもあり、今は無き浜松の「松菱」や静岡の「田中屋(現:伊勢丹)」などで部分的に公開されることもあったが、大半が蔵で眠ることとなった。 そんな中、制作から40年近くの時が流れ、人形の扱いに困った藪崎家より、2005年7月に岡部町に寄贈され、2006年2月、実に37年ぶりに地元岡部の町にて、この「等身大の雛人形」のうち7体が、「大旅籠 柏屋」にて公開されることとなった。 そこで、わたしはこの雛人形に出会ったわけだが、翌2007年には、わたしを含め多くの方の望みに応える形で、「内裏雛」(だいりびな)2体、「三人官女」、「五人囃子」、「随身」2体、「仕丁」3体の全15体が、期間限定ながら公開されることとなった。 こんな雛人形 ありなんだ~! この2007年の展示にて、わたしは運命的な人形に出会うこととなった。 突然目に飛び込んできた、前年には公開されずにいたこの人形の姿に、わたしは改めて「等身大の雛人形」のすばらしさと、本意はわからないが、制作者である人形師「好光」の、人形師として作品に籠めた「想い・心」を感じた。 それが、この3体の「仕丁」だった。 「こんな雛人形 ありなんだ~!」 これが、正直なその時の感想だった。 一庶民であるわたしには、雛人形の姿は、どこかかしこまったものであり、眺めるものであり、対峙するものだったが、この「仕丁」の姿は違った。 とても親しみが湧くとともに、5段目のこの列なら、一緒に並んで酒でも飲めるかな・・・と、そんな気にさせてくれるほど親近感の湧く人形だった。 目の前に居た「仕丁」の姿には、とにかく驚かされた訳で、笑う・泣く・怒るの表情にも見えつつも、通常の「立傘」(たてがさ)・「沓台」・「台笠」(だいがさ)を持つ「仕丁」の姿はそこには無く、どうみても飲み屋の座敷の一風景・・・といった感じの雰囲気に、なんとも言えぬ居心地の良さと愛着を感じた。 「内裏雛」や「三人官女」の、ちょっと近寄りがたい高貴で気品のある姿とは、およそ似つかわしくないこの「仕丁」の姿は、別の人形を飾っているのでは?と、一瞬思えてしまうほどのギャップがあり、ここに人形師「好光」の粋な心を感じた。 他の人形たちと比較して見れば見るほど、この一見アンバランスに思える組み合わせの中に、この「等身大の雛人形」のすばらしさが感じられるわけで、このことがこの雛人形に、何倍もの輝きを与えているように思えた。 それは「仕丁」がいなかった、2006年の展示では感じられなかったものであり、また意図的とも思えるこの演出を成しえた、制作者である人形師「好光」という人物のことが、たまらなく知りたくなったキッカケでもあった。 現に、わたしの心を射止めたこの「仕丁」の3体は、おそらく永久に忘れられないものとなるはずであり、この「等身大の雛人形」を見た多くの方にとっても、同様にこの3体の姿は、頭の中にインプットされたのではなかろうか。 その普通と違うところに、また「内裏雛」などからは想像できない組み合わせの中に、単にスゴイね!大きいね!キレイだね!・・・で終わらない、この「等身大の雛人形」の魅力があり、輝きがあるように思われた。 そこまで計算したのかどうか・・・、単なる遊び心だけだったのか・・・、人形師「好光」の制作の本意はわからないが、記憶に残る作品とは、まさにこれであり、わたしにはこの演出がたまらなく心動かされるものとなったと当時に、心憎くさえ思えた。 山形県の村山市の「むらやま雛まつり」でも、人形師「好光」の手による大型雛人形が飾られると聞いた。 人形師「好光」の心に迫るべく、今度山形を訪れた際には、是非ともそれらの人形たちも見比べてみたいと今思っている。 なぜ?だか浮かび上がった、ひとりの人物! 2007年の公開にて、3体の「仕丁」人形に出会い、人形師「好光」の心を感じたわたしは、いつしか、ある一人の人物の一生を、この「好光」に重ね合わせていることに気づいた。 その人物とは、江戸時代の商人であり、晩年測量家として「大日本沿海輿地全図」(だいにほんえんかいよちぜんず)の制作に生涯を費やした、「伊能忠敬」(いのうただたか)である。 商人として、人生の成功者であった伊能忠敬は、50歳を過ぎてから、全く畑違いの測量の世界に飛び込み、師に教えを乞いながら習得した学問により、全国行脚の末、あの偉業を成し遂げた。 人形師「好光」も、人形師として成功をおさめた後の65歳から、前述のように、制作方法が全く異なる「活人形」の人形師に師事し、一から習得した技術により、4年10ヶ月の年月を費やして、あの「等身大の雛人形」を作り上げた。 わたしは、この2人の人物のことについて、特別明るい訳ではないが、人生の成功者であったこと、なのに人生の安泰期に入ってからも好奇心旺盛で、新たなことへチャレンジしていったこと、しかも畑違いの事を、わざわざ年下の者に師事し教えを乞い、そして自分が成そう!としたことに対して、しっかりとカタチとして答えを出し、後世に残していったということにおいて、2人の人物を重ね合わせ、どこか同じ匂いを感じとっていたのかもしれない。 これらは全くわたしの個人的な考えなわけだが、この2人の先人の生き方の中に、もしかしたら自分が進むべき道を探し求めていたのかもしれない・・・。 物語を連想させる「御殿飾」 話は戻るが、この岡部宿のひなまつりには、「等身大の雛人形」の登場により、ちょっと影が薄くなりつつあるもうひとつの雛人形がある。それが山内家雛人形「御殿飾」だ。 この「御殿飾」は、「等身大の雛人形」に負けず劣らず珍しいもので、1999年に旧岡部町(現藤枝市)の指定有形文化財にもなっており、今から150年以上前の1856年に、京都で制作された雛人形だ。 「京都御所」をイメージしたという、渡り廊下で繋がった白木の3棟の御殿と、その前に配された45体の人形が、およそ雛人形というイメージとは程遠い感じで飾られている。 もともとは、現在のような5段飾り・7段飾りという雛壇は、武家風の関東の飾りつけであり、関西では、このような御殿の中に「内裏雛」を飾り、その前に嫁入り道具などを並べるのが一般的な飾り方だったようだ。 またよく言われることだが、内裏雛のうち、男雛を向かって左側に配するのが関東流で、関西では右側に配していた。 そんな関西流の雛人形である「御殿飾」は、まるで大名行列のように連なった牛車の列と、それを眺めているかのような御殿内の官女などの人形のひとつひとつが、強烈な個性を放っており、一体一体人形たちの姿を目で追っていると、そこには動きが感じられ、まるでそれは立体絵巻物といった感じで、そこに物語が感じられる。 まるでフィギュアの世界にハマってしまったかのようなこの「御殿飾」には、前述の「等身大の雛人形」とは、180度異なる楽しみ方があり、雛壇を前に畳に座っていると、どんどんとその世界に惹きこまれていく。 保存の良さもピカイチで、とても150年も前のものとは思えない輝きが感じられる。そして何よりこの「御殿飾」は、畳4畳をも占領するスケール感で、この「岡部宿のひなまつり」には、欠かすことの出来ない雛人形として、毎年多くの人を楽しませてくれている。 是非じっくりと時間を割いて、眺めてみて欲しいわけで、時間をかけないと、そこに物語はうまれない。 尚、「等身大の雛人形」もそうだが、年度によって展示方法や展示期間も変わっているため、訪れる際には事前に確認してから出かけてもらいたい。 いつか見てみたい!雛壇飾り 余談ながら、今回は久々にこの記事を書きつつ、この「岡部宿のひなまつり」の雛人形のすばらしさをどう伝えるべきか・・・と、かなり考えた。当たり前のことながら、やはり見てもらうしかないよなぁ~という感じで、なかなか筆を走らせることができなかった。 今までにも、立山の「雪の大谷」の執筆の際など、幾度かそういうことはあったが、2~3日考え、現地・現物をということで、再度この人形を見に柏屋へと足を向けた。 そして、15体の雛人形を眺めつつ、とにかくこの15体の表情を伝えたい・・・と思い、全15体の顔のアップの写真を撮り、雛壇風に並べてみることとした。 それが下の写真なわけだが、そこから上記文章を書くことがやっとできた。 完成した年のお披露目以外では、高さの問題もあり、ちゃんとした雛壇としては飾られてこなかったこの等身大の雛人形。冒頭でも、なぜそれをやらないのか? 外国人観光客の観光誘致や地域観光の目玉として、日本一と言ってもよいこの人形の存在が、鳴かず飛ばずでいるのがもどかしく思えた。 たしかに他にも「等身大の雛人形」はある。でも内裏雛だけでなく全15体が揃い、さらにはこの作りの凄さ、そして単なる雛人形の延長線上に無い、あの「仕丁」がいる、粋で記憶に残る雛人形は他には無い。それなのに・・・と。 もちろん他の「等身大の雛人形」も素晴らしいものであるのは間違いない。でも予算ありきや、集客目的で1年足らずで分業で作り上げた人形とは、筋が違うし、雛人形への思い入れも、全体としての纏まりも全く違う。そしてその違いはこの人形たちと向きあえば、自ずと分かってもらえると思う。必ず伝わると思う。 もっともっと多くの方に、この「等身大の雛人形」の存在を知ってもらい、直接足を運び向き合って欲しい。だからこそ、このホームページが、少しでもそのキッカケになれば・・・と思う。 その先には、いつかこの写真のような形で、「等身大の雛人形」の雛壇展示が再現されることを祈りつつ、最後にもう一度、人形師「好光」が作り上げた「等身大の雛人形」の世界を、一体一体の表情を確かめながら感じて頂けたらと思う。
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