富士市観光ガイド 『実相寺』 | ||||||||||
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実相寺(富士市) |
★『実相寺』をご覧になるにあたって | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「立正安国論」誕生の地、「実相寺」 富士市の夜景スポットとして知られ、桜や梅、ツツジにアジサイなど、四季折々の花々が楽しめ、また展望台からの「富士山」や「駿河湾」の眺望がすばらしいことでも知られる「岩本山公園」の麓に、ひとつのお寺があります。 静かに佇む現在のお堂の姿からは、とても想像できないのですが、かつて日本を揺るがし、歴史に名を留めるとともに、その後も多大な影響力とともに、一代宗派として発展を遂げた「日蓮」の、その教えの礎を築く舞台となったそのお寺が、岩本山 『実相寺』(じっそうじ)です。 山号を「岩本山」と称すこの「実相寺」は、平安時代の1145年に、第74代天皇である「鳥羽天皇」が、院政を行っていた受戒後の法皇時代に、比叡山 横川(よかわ)の天台宗僧侶「智印法印」(ちいんほういん)に勅命を下し建立させたお寺とされています。 その後、鎌倉時代の1260年に、九州に和紙の製法を広めたことで知られる「日源」こと「智海法印」により、「日蓮宗」へと改宗され、自らも「日源」と名乗るようになりました。 そんな「実相寺」の名が広く知られようになったのは、まだ宗教家としては、それ程名の知れた人物ではなかった、「智海法印」の良き友であった「日蓮」が、この「実相寺」にて、あの「立正安国論」の草案を書き上げ、ここから偉大な宗教家として大きく羽ばたいていったことからでした。 そんな由緒ある古刹である「実相寺」なのですが、このお寺の魅力は、境内奥深くに潜んでいる・・・という感じで、現在の「総門」の佇まいからはそのような偉大な歴史を持つお寺には感じられません。 決して荒廃したわけでもないのに、偉大な歴史の1ページを前面に押し出すこともなく、ひっそりと奥に秘めたかつての巨刹の佇まいが、逆に訪れる者になんとも言えぬ魅力を抱かせ、やがて訪れた者だけが知りうる喜びへと形を変えていきます。 予言者「日蓮」 「実相寺」の「一切経堂」に籠り、2年の歳月をかけ執筆したとされる「立正安国論」は、政治や宗教の本来あるべき姿を、時の鎌倉幕府の実力者、得宗「北条時頼」に示すべく書かれたもので、地震や水害、疫病などの災害で飢え苦しむ民衆は、「浄土宗」などの邪悪な教えに惑わされており、正法である「法華経」を中心に据え国を治めれば、自ずと国家も安泰となるという、かなり攻撃的な問答体の書物となっていました。 1260年7月16日に、得宗家に仕えていた「宿屋光則」(やどやみつのり)を介して「北条時頼」のもとに上程された「立正安国論」でしたが、その内容が知れるにつれ、当然の如く、当時まだ一宗教家に過ぎなかった「日蓮」への風当たりは強くなり、広く信仰を集めていた「浄土宗」を中心とした他宗徒により襲撃されるとともに、逆に社会不安や政に悪影響を及ぼしたとして、禅宗信徒であった時頼により、1261年に、伊豆国伊東に流されてしまいました。 そんな中、この「立正安国論」の中で、他国からの侵略の危機を訴えていた「日蓮」は、後に起きた、1268年の蒙古からの国書の到着、それに続く1274年と1281年の2度にわたる、モンゴル帝国と高麗王国による日本襲来である「元寇」(げんこう)により、その訴えが現実化したとして、予言者として崇められるようになり、それと同時に、「日蓮」の教えに耳を傾ける者も増えていきました。 同時に、国内情勢も悪化し、幕府や朝廷内での権力争いによる政局の乱れも表面化し、これらも「日蓮」が「立正安国論」により説いていた「法華経」を中心に据え政を行わないからだとして、「日蓮」の教えを後押しする形となりました。 その後、この「日蓮」の教えは、弟子たちに引き継がれ、様々な宗派に分派はしたものの、「日蓮宗」として広く民衆に受け入れられ、今日に至っています。 ちなみに、1269年に、「日蓮」が直筆で書したとされる「立正安国論」が、千葉県の市川市の中山にある、大本山「法華経寺」に残されており、国宝に指定され大切に保管されています。 またこの「実相寺」は、平安時代の天台宗の僧侶である、「智証大師」こと「円珍」が、唐より持ち帰ったとされる2組の「一切経」のうちの一組が、創建時より安置されていることでも知られており、このことでも有名なお寺となっています。 ちなみにもう一組の「一切経」は、あの「三井寺」(みいでら)として知られる滋賀県の「園城寺」(おんじょうじ)にあり、このことをとってみても、かつてこの「実相寺」がどれだけの巨刹であったかをうかがい知ることができます。 変化に富んだ伽藍を見せる「実相寺」 「立正安国論」誕生の舞台となったこの「実相寺」は、JR身延線の「竪堀駅」(たてぼりえき)からも歩いて20分くらいで行ける場所にあり、JR東海道線の「富士駅」からは、「実相寺」を経由するバスも出ています。 クルマでのアクセスは、東名高速の富士ICを下りて15分くらいと、比較的容易にたどり着くことができ、台数は限られるものの、駐車場も完備されています。 「実相寺」の境内には、「本堂」「祖師堂」「七面堂」「一切経堂」などに加え、「仁王門」や「総門」、「鐘楼」や「八所権現」、さらには「天満天神宮」に「常経稲荷」まであり、その個々の建築物の造りの違いとともに、その佇む雰囲気の違いが楽しめる伽藍配置となっています。 この「実相寺」は、個人的にも大好きなお寺で、実に趣のあるお寺なのですが、通りに面した「総門」の感じでは、一見どこにでもある町中の子供たちが遊びまわっているような小さなお寺のイメージがします。 しかしながら参道を進むうちに、徐々にその様相が変化していき、背景の緑豊かな山肌をうまく生かしたその境内には、深い味わいが漂ってきます。 この「総門」から真っ直ぐと伸びる参道が、決して長い距離ではないのですが、実に意味のあるものとなっており、この道のりが日常生活から非日常の世界へと誘ってくれるとともに、これから現れる「実相寺」の伽藍への期待を膨らませてくれます。 立派な「常夜燈」を従え聳える「仁王門」と、その横に建つ「鐘楼」の前に立つ頃には、「実相寺」を訪れる者の面持ちも変化し、周囲に漂う香の煙とともに、厳かな雰囲気に包まれていきます。 この「仁王門」 には、富士市指定有形文化財にもなっている、高さ2.41mの木造の「阿形」「吽形」の「金剛力士像」が安置されているのですが、「鐘楼」と「仁王門」、そしてその前にかかる石橋と「常夜燈」のバランスが素晴らしく、とても絵になる光景をつくりだしてくれています。 この「仁王門」にある2体の仁王像は、江戸時代初期の作とされ、ヒノキ材に漆を上塗りして仕上げられたものであり、当時隆盛を極めていた京都の仏師の作とされています。 落ち着いた佇まいをみせる「祖師堂」 そんな「仁王門」をくぐり、「庫裡」や「釈迦堂」を右手に見ながら足を進めていくと、やがて「本堂」とその前に建つ「日蓮」の立像が見えてきます。 「立正安国」と書かれた台座に立つ「日蓮」の像は、まるで今ここで民衆を前に自論を展開し、説法を行っているかのような感じで、見上げるその姿からは、自信に満ちた表情がうかがえます。 そんな「本堂」から石段を一段ずつゆっくり上っていくと、一気に荘厳な雰囲気に包まれる「祖師堂」へとたどり着きます。 「日蓮」ゆかりのこの「実相寺」の伽藍の中で、最も美しい光景を見せるのがこの「祖師堂」で、堂内には「立正安国論」の草稿を手にしている「日蓮」像が安置されています。 この「祖師堂」は、手入れのいき届いた庭がさらにそのイメージを厳粛なものとさせ、背後の山の樹木の緑も相まって、これまた絵になる光景をつくり出しています。 「総門」をくぐった時には、およそ想像もしていなかった光景が眼前に広がっており、この光景を前にする頃には、「総門」で感じたイメージは完全に払拭されており、このお寺の歴史とその奥の深さが肌を通じて感じられてきます。 またこの「祖師堂」の近くには、「高座石」が残されており、この石を眺めていると、ここに座り民衆を前に説法を行っている僧の姿が目に浮かぶようです。 とても雰囲気の良い場所ですので、ここで一息入れて、振り返りたどって来た道のりを眺めてみても良いですし、周囲の自然の声に耳を傾けてみても良いかと思います。 歴史を感じる「一切経堂」 さらに石段を上り足を進めていくと、富士市指定有形文化財の「一切経堂」(一切経蔵)が現れます。 この「一切経堂」には、西伊豆の松崎出身で、「三嶋大社」の彫刻を手掛けたことで知られる「小沢半兵衛」の手による「七福神」の木彫刻があります。 縦57cm、横276cmのこの彫刻は、江戸時代末期の作とされ、クスノキ材による一木彫で、これも富士市指定有形文化財になっています。 この他、「一切経堂」の傍には、「日蓮」の弟子であった「日郎」の「米とぎ井戸」も残っています。 ここまでがお寺の境内といった感じなのですが、さらに石段を上っていくと一瞬アレ?と狐につままれたような感じになる、絵馬と梅の木が似合う「天満天神宮」や「常経稲荷」などがあり、さらに山を上っていくと、「見晴台」の先に、「七面堂」と「八所権現」などがあります。 ここまで来ると、また「祖師堂」で感じたお寺のイメージとはガラリと様相が変わっており、山を上り下りする中で、この「実相寺」は、次から次へと違った一面を見せてくれます。 そのまま山を上っていくと、程なく「岩本山公園」へと抜けることができ、このルートはハイキングコースにもなっているのですが、それならば公園側から下った方が楽なのでは・・・という考えは起こさないでください。 お寺というものは、順序どおりに「総門」からスタートしてこそ見ごたえがあるものであり、特にこの「実相寺」はそのことを声を大にして言いたくなるお寺です。 くれぐれも楽して公園から下ることの無いようにお願いします。 「実相寺」に隠された喜びとは? かく言うわたしも、初めてこの「実相寺」を訪れた際には、特に期待もせずこのお寺の「総門」をくぐりました。 歴史の教科書に登場するわけでもなく、旅行ガイドを賑わすわけでもなく、花見や紅葉で賑わいをみせるお寺というわけでもなく、何の気になしに訪れたのですが、「総門」をくぐったその日から現在まで、このお寺の不思議な魅力の虜となっています。 一歩一歩足を進めるごとに増していく、このお寺のたどってきた長い長い歴史の重みは、次々に変わりゆく境内の様子とともに、訪れる者に独特の感情を抱かせてくれます。 「実相寺」にたどり着き、「総門」を見上げて感じたお寺の印象と、境内の伽藍を巡り感じるそのギャップが、このお寺の魅力のひとつでもあり、それはどこか自分が、自分だけが境内奥深くまで巡ったことにより感じ得た特別な感覚のようにも思え、それが訪れる者の優越感にも似た喜びに繋がり、やがてその虜となっていきます。 うまく表現できませんが、この「実相寺」にはそんな魅力が潜んでおり、境内奥深くまで、時間をかけじっくりとこのお寺を巡った者だけが感じ得る喜びがある、不思議なお寺となっています。 全国の「日蓮」ゆかりのお寺を考えると、その歴史的な背景は、実は実はすごいお寺であり、本来ならば、もっともっと観光客で溢れ観光化されていてもおかしくないように感じるお寺なのですが、諸事情はあるにせよ、人気とお寺の魅力が釣り合っていないところが、知りうる者だけの格別な喜びにも繋がっており、これはこれで良いように思えます。 多くの方にこの喜びを感じてもらいたいと思いつつも、いつまでも変わらぬ今の「実相寺」の姿であって欲しい・・・という気もするのですが、ここはあへてあなたにも、そんな「実相寺」に潜む喜びを知る者のひとりになってもたいたい・・・そう思う次第です。 |
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