臨済寺とは?
静岡県静岡市葵区の賤機山の麓にある、山号を「大龍山」と称する今川家の菩提寺で、駿河三刹の1つ。竹千代時代の徳川家康が人質として預けられていたことで知られる、臨済宗 妙心寺派の古刹。
出家した栴岳承芳(後の今川義元)のために、父である今川氏親が母の北川殿の別邸跡に、名軍師として知られる太原雪斎を招き建立した「善得院」がその前身。1536年に兄の今川氏輝が急逝したため、還俗し家督を継いだ義元が氏輝を弔うために、大休宗休を開山として『臨済寺殿用山玄公大居士』の戒名より「臨済寺」と改め開いた。
境内には、1983年に国の重要文化財に指定された「本堂」や「竹千代手習いの間」、静岡市街地が望む茶室「夢想庵」、千光国師・円通大応国師・聖一国師の三国師像を安置する「茶祖堂」、義元公と氏輝公の石塔が建つ「今川神廟」、1936年に国の名勝に指定された「臨済寺庭園」などの他、義元公・氏輝公・太原雪斎・大休宗休の木像や扁額・禅林墨蹟など寺宝が並ぶ。
例年5月19日の今川義元公の命日と、10月15日の「摩利支天祈祷会」の年2日だけ特別公開が行われる。
臨済寺の見所
春の特別公開
"海道一の弓取り"と称され、駿河国と遠江国を治めつつ、享年42歳にて桶狭間に倒れた今川義元公の命日にあたる5月19日に、春の特別公開が行われる。山門の『大龍山』の扁額は、徳川慶喜の筆によるもの。
秋の特別公開
10月15日の摩利支天祈祷会に合わせた特別公開で、『開運 摩利支尊天』の赤いのぼりが印象的だ。春は天皇家より賜った足利一門と同じ格式高い五七桐紋だったが、秋は三つ葉葵の徳川葵紋だ。
禅寺 -ZEN-
通りに端正な僧侶が立ち、案内をしてくれる。石橋を渡ると臨済寺の境内となるのだが、キリッとした門前の光景と相まってすでに禅寺の雰囲気に包まれ、その気高さに圧倒される。さすが駿河三刹だ!
仁王像
三間一戸の銅板葺の楼門となる臨済寺の山門には、明治時代の神仏分離まで静岡浅間神社の総門にあった、口を開けた「阿形」と口を結んだ「吽形」の2体の仁王像(金剛力士像)が配されている。玉眼が鋭い!
新仏殿
山門の左手には、1997年建立の一重 裳階付 入母屋造 銅板葺の木の香りが漂ってくる感じで真新しい禅宗様の新仏殿が建つ。波状の弓欄間の中央に、宝珠の意匠が見られる。まだ伽藍に溶け込んでいない感じだが、立派なお堂だ。
臨済寺参道の石段
山門から本堂へと伸びる風格が漂う石段。石段の途中に、絆の文字が印象的な宝珠地蔵や、安倍川の名石 馬蹄石を使用した裏千家の名誉師範 岡田宗清が米寿を記念して1981年11月15日に建立した茶筅塚、針供養塔などがある。
本堂(大方丈)
1983年1月7日に国の重要文化財に指定された、江戸前期建立の本堂となる大方丈。春には鮮やかな五色幕が、秋にはモノトーンな葵の御紋の紋幕が掛かる。燃えやすい茅葺、重すぎる桟瓦葺を経て、創建時の杮葺に戻っている。
本堂の扁額とソテツ
本堂前に立派なソテツが植わる。ちなみに静岡には、国の天然記念物で日本三大ソテツの能満寺のソテツと龍華寺のソテツがある。『勅東海最初禅林』は駿河の勅願寺であったことを示す。扁額は『方丈』だが大方丈と言われる。
臨済寺の扁額の数々
①山門と同じ山号『大龍山』15代将軍 徳川慶喜 書 ②『知足常楽』宗家17代 徳川家正 書 ③『萬古清風』宗家16代 徳川家達 書 ④『薫風』伊藤博文 書 ⑤『修衆善』衆善を修むと読む ⑥『閑不徹』徹底した静けさのことで恭峯宗演 書
禅堂(座禅堂)
摩利支尊天信仰の外廓団体である開運講が年に一度10月15日に招かれ講中斎「摩利支天祈祷会」が開かれるのが、座禅堂とも言われる禅堂だ。通常はここで修行僧が坐禅をしたり寝泊まりを行っている。最近はココが入口に!
大河ドラマ『どうする家康』ロケ地
特別公開時は絨毯や畳敷きとなっているが、通常は石畳となっている。NHK大河ドラマ『どうする家康』の第一話のロケ地で、CG加工がされていたが手作りのおもちゃで松本潤さん扮する竹千代が無邪気に遊ぶシーンに登場した。
摩利支天像と十二神将
正面の猪に跨る摩利支天像を中心に、左右にズラリと十二神将が並ぶ。暗がりということもあって気づかず下半分のイノシシしか見ていない人も散見されるが、近づいて拝顔しよう!入口右手には文殊菩薩像も安置されている。
太原雪斎 木像
宝形造の開山堂にある、臨済寺の2代目住持にして今川家の軍師として天下にその名を轟かせた『太原雪斎長老』の木像。黒田官兵衛・竹中半兵衛と並び称される名軍師であり、その交渉力においては右に出る者はいなかったされる。
大休宗休 木像
後奈良天皇の禅の師匠として円満本光国師の諡号も賜った、臨済寺開山の『大休宗休禅師』の木像。正面に座り見上げて目が合うと、金縛りにあったかのように動けなくなる。木像とは思えない目力だ!
本堂の雰囲気を一変させる屏風
訪れる度に異なる雰囲気を醸し出す屏風絵に出遇えるのも楽しみの1つだ。毎回鑑賞できるのが、1957年5月13日に県指定有形文化財となった、1616年に家康が寄進した葦が生えた水辺より千鳥が舞う土佐光茂 筆の『千鳥図屏風』だ。
今川義元公・氏輝公 木像
左が"海道一の弓取り"と称された第11代当主の今川義元公で、右が24歳の若さで急逝した兄の第10代当主の氏輝公だ。父の氏親公の木像はと言うと、少し離れるが同じ静岡市内の「増善寺」にある。等身大の木像は実にリアルだ!
御本尊 阿弥陀如来坐像・徳川家康公像
①阿弥陀三尊!?と思いきや、脇侍は薬師三尊で知られる日光・月光菩薩だった ②義元公や氏輝公などの光り輝く位牌がズラリと並ぶ ③朱色の糸華鬘(紐華鬘)が美しい ④等身大の木像が多い中、こちらはカワイイ家康公像
太原雪斎・大休宗休の頂相
絹本著色の臨済寺2世の『太原崇孚禅師』と開山の『大休宗休禅師』の頂相だ。頂相とは禅宗の高僧の肖像のことで、肖像画もあれば前述の木像のような肖像彫刻もある。諱の崇孚の時は禅師で、号の雪斎の時は長老と呼ぶようだ。
貴重な宝物類
年度や春と秋で毎回展示が異なり、初めてのお宝に出遇うとちょっぴり嬉しくなる。屏風絵や襖絵に扁額、徳川将軍の書や一休・沢庵和尚などの禅林墨蹟、古図に金箔が散りばめられた調度品等々とにかく皇室・徳川家ゆかりの宝物類が凄い!
猿猴捉月(えんこうそくげつ)
本堂から大書院へと向かう階段横に、猿・兎・蛙がいる内庭がある。猿が水面に映る月を捉えようと無理に手を伸ばし池に落ち溺死したという『摩訶僧祇律』の故事で、身の程を知らずに大望を抱くと身を滅ぼすという例えだ。
竹千代手習いの間
後に復元されたものだが、人質時代の幼き頃の家康公がこの寺で英才教育を受けていたことに変わりは無い。下ばかり見て龍の天井画を見逃さずに! 尚、1989年に駿府城公園の巽櫓にも「竹千代手習いの間」の復元の複製!?がある。
狩野栄信・狩野養信 親子の襖絵
狩野栄信の『竹林七賢図襖』と長男 養信の『富士三保松原図』が表裏一体となった襖絵だ。引手の1つの徳川葵紋が逆さまで未完の完に! 尚、三保の松原の絵にあるはずの同じ駿河三刹の清見寺が描かれていないのは、臨済寺への配慮とか…
徳川家康像の掛け軸
大書院の床の間の掛け軸に目をやると、見覚えのある肖像画が! 似たような構図の家康の絵は他にもあるが、この寺で出逢うとは…と。後で調べたら、狩野探幽による大阪城天守閣蔵と構図は同じなのだが、よ~く見ると微妙に異なる。
国の名勝『臨済寺庭園』
1936年9月3日に国の名勝に指定された、賤機山の斜面を利用し、天正年間に三段構成で築かれた池泉廻遊式の庭園。ここから望む夢想庵の眺めも格別だが、しだれ桜が咲く時期や紅葉時に楽しめないのが残念だ!
夢想庵へと伸びる長廊
大書院からは一直線に茶室へと続く長廊が25mほど伸びている。すれ違うのも大変な狭い階段なのだが、この距離が別世界へと誘ってくれる。混雑時で無ければゆっくりと景色を楽しみながら上りたい…。
上から見る臨済寺庭園
階段の途中から横に目をやると、臨済寺庭園が上から楽しめる。大書院からではわかりにくかった池や石組みの配置がよくわかる。2024年10月11日には、この臨済寺庭園の一部として、この長廊も夢想庵も国の名勝に追加指定された。
茶室「夢想庵」
大正時代に檀家の寄付により建立。大徳寺塔頭の玉林院の南明庵を模したというが、詳しいことはわからない。結界により俗世と切り離された境内にあって、さらに結界が張られたような境地だ。
夢想庵の茶室
茶室の床の花と掛軸は毎回異なる。時に家康の花押がある掛軸が飾られていることもあり、長廊を上る時から今回は何かな?と、鑑賞する楽しみが湧いてくる。最近は見学者が多いため静かに空間を楽しめないのが残念だ…。
夢想庵の主は意外な人!?
茶室「夢想庵」の吹き寄せ障子の奥に、達磨大師が安置されているのは初めて訪れた時に知ったが、左右まで覗き込んでいなかった。実は右手に茶人としての千利休像が、左手には旅姿の利休像が置かれていた。
静岡市街地を一望!
かつて今川館があった駿府城公園を正面に見る形で、静岡の中心市街地が一望できる。県外の人は、写真中央に一際高くそびえる旧三ノ丸に建つ静岡県庁別館を目印に眺めるとわかりやすいかと…。
規矩整然(きくせいぜん)
手入れの行き届いた石庭をはじめ、敷石やほうきの置き方ひとつにまで、随所に禅の心が垣間見える。『規矩整然』と言う言葉を初めてここで知った。入母屋造 桟瓦葺きで袴腰の鐘楼も美しい。奥に見えるのは禅堂。
金宝樹 キンポウジュ
一般的にはブラシノキとして知られるオーストラリア原産の赤くて長い花糸が特徴の木だ。臨済寺では金宝樹と呼び、この木はインドネシア産らしい。例年5月に開花するので、春の春の特別公開時に観賞できる。
今川神廟
富春院の北にあった天澤寺の首塚より出土した桶狭間より家臣が持帰った遺骨を改葬した神廟。2018年に茶祖堂近くより移り通用門参道に新設。義元公と氏輝公の石塔と奥に3つの位牌が並ぶ。扁額は最後の当主 今川範叙の書。
茶祖堂
茶祖堂の三国師像は、臨済宗の開祖にして日本の茶祖と称えられる栄西禅師(千光国師)を中心に、左が草庵式茶道の祖である南浦紹明(円通大応国師)、右が静岡茶の始祖 円爾(聖一国師)となる。
墓所・石庭・放生池
新仏殿の西側に広がる墓所の一番高い瓦塀で囲まれた所に、①太原雪斎長老の墓 ②今川氏輝公の墓 ③中村一氏公の墓 がある。また通用門への参道脇には ④石庭 が、通用門前には ⑤放生池 がある。
通用門
木桶とほうきの置き方がなんとも憎らしい。何気ないこういう所に、修行僧の専門道場となっているこの寺の品格と素晴らしさを感じる。帰りにこの通用門から出る頃には、すっかりこの寺に魅了されているだろう…。
特別公開は年2日だけだよ!
例年5月19日の今川義元公の命日と、10月15日の摩利支天祈祷会のみ内部が特別公開されるよ!
禅の心を感じとろう!
手入れの行き届いた臨済寺庭園をはじめ、規矩整然とした境内の随所に禅の心が垣間見えるよ!
じっくりと時間をかけ、貴重な文化財を見逃すな!
義元公や雪斎の木像・扁額・屏風などの他、夢想庵や竹千代手習いの間・今川神廟など見所多し!
臨済寺 編