佛現寺とは?
静岡県伊東市の相模灘や市街地を一望できる高台に建つ、山号を「海光山」と称する、日蓮ゆかりの霊跡寺院で日蓮宗本山の1つ。
日蓮四大法難の1つである1261年の伊豆配流の際に、鎌倉より伊東へ流された日蓮が、3年の時を過ごした謫居の地で、地頭の伊東祐光より与えられた毘沙門堂の草庵跡とされる。
本堂には、"伊東温泉七福神"の1つである像高20cmの「毘沙門天像」や、"逆さ曼荼羅"として知られる「厄除曼荼羅」が安置されている。
また境内には、元々山門だった1831年建立の「仁王門」から草庵跡に一直線に並ぶ、「常経殿」「御草庵毘沙門堂(紫雲殿)」「釈迦本佛殿」、1832年建立の「鐘楼」、高さ17.5mの「多宝塔」「法華経塔」などが建つ他、「御霊石」や日本三大句碑とも言われる「荻原井泉水句碑」「津波慰霊碑」などがあり、伊東桜も咲く。
寺宝として、天城山中の柏峠を行く旅人を悩ませていた天狗が、日安により追い払われた際に置いていったという、現在まで一文字も解読されていない難解不読の「天狗の詫び状」や「天狗の髭」などがある。
毎年2月には、厄除け開運の「節分会」が行われ、2月15日~16日にはダルマ市で知られる「毘沙門天大祭」が開催される。かつては2月下旬より「伊東MAGARI雛」のメイン会場として、日本一の118段の雛段飾りが登場していたが、現在は行われていない。
佛現寺の見所
佛現寺 山門
元々ただの駐車場入口だった所に立派な山門が建ち、本堂の裏手なのに今ではこちらが正面のようだ。旧山門のアクセスの悪さもあるが、毘沙門堂の草庵跡の存在が薄れてきたこともあるのだろう。
佛現寺 本堂
『立正安国論』の建白が鎌倉幕府批判ととられ、執権北条時頼により1261年5月12日に伊東へ配流された日蓮。この時、地頭の伊東祐光が住まわせた毘沙門堂があった地が、霊跡寺院で日蓮宗本山となっている佛現寺だ。
伊東温泉七福神
最近"伊東七福神"と略される。逆に"伊東温泉七福神"を、湯の花通りの"お湯かけ七福神"と勘違いしている人も多い。また"伊東温泉七福神の湯"という、七福神の石像が建つ7つの共同浴場もあり混同しやすく紛らわしい。
佛現寺からの眺め
相輪が輝く釈迦本佛殿の屋根越しに、相模灘や伊東の市街地を一望できる。高台に建つだけあって眺めがよく、境内に咲く伊東桜も楽しめる。また毘沙門堂草庵跡とは、これだけの高低差があることがわかる。
旧山門となる仁王門
江戸時代の1831年に建立された本来の山門で、現在は裏門のような感じとなっているが、元々はこちらが正面で、題目碑が建ち、仁王門・常経殿・御草庵毘沙門堂(紫雲殿)・釈迦本佛殿が一直線に並んでいる。
毘沙門堂草庵跡
日蓮四大法難のひとつである40歳での配流時に、3年の時を過ごした毘沙門堂の草庵跡。ここで『四恩抄』『教機時国抄』を著し、"法華経の行者"を自覚し宣言したと伝わる。1965年に、ここに紫雲殿・常経殿が建立された。
御霊石
数々の災いをもたらした東京本所の鉄工所地下にあった、江戸時代に旗本の奥方が身籠った奥女中を妬み殺し古井戸に投げ込み蓋に使用したという庭石。大正末期に日鴻が伊東へ持ち帰り、厄除け本尊を刻み大施餓鬼供養を行った。
伊東MAGARI雛
2013年より始まった伊東市を挙げての一大ひな祭りイベントである『伊東MAGARI雛』のメイン会場として、くの字に曲がる伊東桜が咲く裏参道の石段に日本一の118段の雛段飾りが登場していたが、現在は行われていない。
日蓮ゆかりの霊跡寺院で日蓮宗本山だよ!
日蓮四大法難の1つである伊豆配流時に、3年の時を過ごした毘沙門堂の草庵跡がここだよ!
2月の「毘沙門天大祭」に合わせて行こう!
ダルマ市で知られる毘沙門天大祭に合わせて行くのがおすすめ!
伊東温泉七福神の1つだよ!
本堂に安置されている毘沙門天像が、伊東温泉七福神の1つとなっているよ!
佛現寺 編