筥湯とは?
静岡県伊豆市の 修善寺温泉 を流れる桂川近くにある、2000年2月12日に復活した外湯で、地元民だけでなく観光客も利用可能。
源頼家 も入浴したとされる、かつて修善寺にあった自然湧泉の共同湯の 中湯 / 箱湯 を、そのルーツとする。
夏目漱石 が修善寺での闘病生活の中で詠んだ漢詩より命名された、高さ12mの望楼となる「仰空楼」が併設された特徴的な建物で、展望台からは修善寺の温泉街が一望できる。
筥湯の見どころ
伊豆最古の温泉場 "修善寺"
伊豆半島に位置する数ある温泉地の中で、多くの文人墨客に愛され、最も歴史ある温泉場となっているのが、ここ 修善寺温泉 だ。
伊豆最古の温泉場として桂川を中心に開けたこの修善寺温泉は、遠く平安時代に 弘法大師 空海 が開いたとされる温泉地で、伊豆山温泉・伊豆長岡温泉(古奈温泉)とともに 伊豆三古湯 と言われ、熱海温泉・伊東温泉 とともに『日本百名湯』にも選ばれている。
そんな修善寺温泉と言えば、その起源ともなっている807年に空海が独鈷杵(とっこしょ)により川の岩を砕き温泉を湧出させたと伝わる "独鈷の湯"(とっこのゆ)が有名だが、その独鈷の湯と並び、かつて修善寺に9つ以上あったとされる 外湯 の1つの流れを汲むのが、この『筥湯』(はこゆ)だ。
中湯 が 箱湯 で 筥湯 に!?
よく『筥湯』の説明で、かって7つあった外湯の1つ…という言い方がされるが、この表現が難しい。"かつて" がどの時期を指しているかによって変わるわけで、7つを肯定することも否定することもできない。
昭和時代の1959年の『修善寺史料集』によると、江戸時代以前に修善寺には、
①独鈷の湯 ②中湯 ③石湯 ④坪湯 ⑤杉湯 ⑥児湯 の6つの源泉による共同湯があったとされている。その後江戸時代の1784年に ⑦真湯 が、そして明治時代の1873年に ⑧河原湯 が、1877年に ⑨滝の湯 が加わり、自然湧泉の共同湯は 9ヵ所 になったと記されている。
この内、②の中湯が後に "箱湯" となり、現在の『筥湯』のルーツとなる共同湯なのだが、厳密には虎溪橋の袂に一石庵という甘味処があり、そこに "知足の湯" という足湯があるのだが、この場所がかつての "箱湯" とされている。
ちなみに、明治時代の1881年の墨摺りの『豆州修善寺温泉名所改正図』には、
①独鈷の湯
②河原湯
③箱湯(中湯)
④石湯
⑤兒の湯(児湯)
⑥真湯
の6ヵ所が登場し、この内 箱湯は前述のように中湯と同じで、兒の湯は児湯と同じとされる。
また同じく明治時代の1901年の銅版印刷の『豆州修善寺温泉場改図』には、
①独鈷の湯
②河原湯
③箱湯(中湯)
④石湯
⑤珍の湯(児湯)
⑥真湯
⑦杉の湯
⑧馬湯
の8ヵ所が登場する。これも箱湯は中湯と同じで、珍の湯は児湯と同じとされるが、馬湯については他と同じ湯なのかわからない。
また別の史料には 寺湯 という共同湯が出てくるものもあり、今ここで列挙しただけでもすべてカウントすると 10個 の共同湯があり、併存していたのかも含め詳細はわからない。
ゆえに、修善寺の外湯の歴史は???となるわけで、その変遷を知ることは今となっては難しいのだが、少なくとも『筥湯』のルーツは "箱湯" にあり、そのルーツは "中湯" にあることは間違いないようだ。
仰空楼が目印の筥湯!
今お話ししたように、もともとこの修善寺一帯は、地域の共同湯や湯治として外湯が賑わっていた所だ。
しかしながら生活スタイルの変化や、家庭におけるお風呂の普及、旅館に内湯が出来たことなどにより次々と外湯が姿を消して行き、終戦後の修善寺の町には、"独鈷の湯" ただ1つが残るのみとなっていた。
昔の外湯を懐かしむ声も聞かれる中、修善寺温泉の新たな観光名所としての役割を担い、2000年2月12日 に外湯として復活したのが、この『筥湯』だ。
前述したように、『筥湯』は "中湯" をルーツとする外湯で、修善寺にゆかりのある鎌倉幕府2代将軍 源頼家 が入浴したとされる温泉だ。修禅寺 に残されている絵地図にも、中湯の所に「此頼家公御入湯之地也」の文字が添えられている。
もちろん当時の温泉の姿とは全く異なるのだが、新たに誕生した『筥湯』には、高さ 12m の望楼となる "仰空楼"(ぎょうくうろう)が併設されている。インパクトのある特徴的な外観が印象的で、修善寺の温泉街を見渡せる実に眺めの良い望楼となっている。
同じ "いずし"…と言っても、伊豆市ではなく出石だが、日本で2番目に古い時計台となる "辰鼓楼" (しんころう)を彷彿させる、反りが美しい建物だ。
仰空楼と文豪 夏目漱石!
仰空楼という名は、修善寺を愛した文人の一人で胃潰瘍の療養のために2ヶ月余り菊屋旅館で過ごすこととなった、夏目漱石の詠んだ漢詩より付けられている。
夏目漱石の修善寺での療養生活は、明治末期の1910年の8月6日より始まった。
転地療養のつもりで訪れたのだが、後に "修善寺の大患" と言われる壮絶な闘病生活を送ることとなり、修善寺を訪れて間もなくの8月17日に吐血。さらに8月24日の大量吐血により生死を彷徨うこととなり、この出来事は "三十分の死" として、後に執筆した『思ひ出す事など』の中で長々と綴られている。
そしてこの修善寺での闘病の日々が、後の漱石の執筆人生に大きく影響したと言われているのだが、病床に伏せることとなった漱石が、9月29日に窓越しに秋の空を仰ぎ見て詠んだ『仰臥人如唖 黙然看大空 大空雲不動 終日杳相同』の詩が、"仰空楼" の名前の由来となるのである。
ちなみに夏目漱石が滞在した菊屋旅館の2階の客室が移築されて、"夏目漱石記念館" として 修善寺虹の郷 にある。部屋の中まで見学可能で、貴重な写真や資料の展示も行われているので、気になる方は訪れてほしい。
また仰空楼の名のもととなった夏目漱石の漢詩が、修善寺自然公園 の "夏目漱石詩碑" に刻まれている。
総檜造りの湯舟に降り注ぐ光線!
そんな漱石ゆかりの『筥湯』は、昔ながらに地元民だけでなく観光客にも広く解放された共同浴場となっている。独鈷の湯が原則入浴禁止で、観光資源としての役割が主となっているのに対して、この『筥湯』は実際にお湯を楽しむことが出来る外湯となっている。
しかしながら、よくある日帰り温泉施設とは大きく異なり、実にシンプルなつくりで、洗い場などは最小限にとどめられ、もちろん露天風呂などもなく、ただただ内風呂で疲れを癒すといった感じの、昔ながらの湯治感覚の温泉施設となっている。
現代的なスパ感覚の日帰り温泉施設とは対照的だが、これはこれで楽しみ方がある。
10人はゆうに浸かれる 総檜造りの湯舟 には、天井のトップライトから眩いばかりの美しい光線が降り注いでおり、実に贅沢な空間演出がなされている。現在は混合泉となっているため、泉質は pH8.6 で無色透明 無味無臭の アルカリ性単純温泉 で他と変わりはないのだが、実に滑らかで肌にやさしいお湯となっている。
こうしてヒノキの香りが漂う湯舟、降り注ぐ光線、そして肌にやさしいお湯と、木のぬくもりに包まれながら五感で癒される湯浴みが楽しめる。
そして湯上りには目印となる仰空楼に上って、修善寺の湯まちを見渡し涼んでみてはいかがだろうか。これがこの『筥湯』の楽しみ方のような気がする。
伊豆最古の温泉場 修善寺温泉 で、歴史と伝統のある "箱湯" をルーツに持つ『筥湯』。是非一度訪れてみてほしい外湯だ。
まずは宿泊先の旅館でゆっくりと汗を流して頂き、湯上りに修善寺の温泉街を散策しながら、昔ながらの外湯で温泉旅情を楽しんでみてはいかがだろうか。
修善寺の外湯の歴史は???だよ!
修善寺の外湯の変遷は難解なのだが、かつての共同湯の中湯が箱湯になり、箱湯が筥湯のルーツとなり、修善寺温泉の新名所として2000年2月12日に復活したんだよ!
昔ながらのシンプルな湯浴みを楽しもう!
ヒノキの香りが漂う湯舟、降り注ぐ光線、そして肌にやさしいお湯と、木のぬくもりに包まれながら五感で癒される、湯治感覚の湯浴みが魅力だよ!
夏目漱石ゆかりの仰空楼が目印の外湯だよ!
夏目漱石の詠んだ漢詩より名付けられた、筥湯に併設されている望楼となる "仰空楼"。
無料なので、気軽に上って修善寺の湯まちを見渡してみよう!
筥湯の見どころ
筥湯のおすすめ時期
1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
筥湯の基本情報
名称 | 筥湯 |
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読み方 | はこゆ |
郵便番号 | 〒410-2416 |
所在地 | 伊豆市 修善寺924-1 |
駐車場 | なし |
お問合せ | 0558-72-5282 |
するナビ | 修善寺の観光スポット |
アクセス | 伊豆箱根鉄道「修善寺駅」 ⇒東海バス「修善寺温泉」下車 徒歩3分 ⇒伊豆箱根バス「修善寺温泉」下車 徒歩3分 |