増善寺とは?
静岡市葵区慈悲尾(しいのお)にある、山号を「慈悲山(じひさん)」と称する、延命地蔵菩薩を御本尊とする、今川氏親ゆかりの曹洞宗寺院で、駿河三十三観音霊場の第16番札所。
681年に、法相宗の始祖である道昭により真言宗「保壇院」として開創し、723年には行基作の 駿河七観音 の第二刻を安置し「慈悲寺(じひじ)」と呼ばれ親しまれるも衰退。
1480年に、辰応性寅禅師(しんのうしょういんぜんじ)が曹洞宗に改宗し寺の再興をはかり、1501年に、駿河・遠江守護で今川家中興の祖と言われる9代当主(駿河今川氏7代)今川氏親が開基となり七堂伽藍を整備し、辰応性寅禅師を開山として「増善寺」を建立。
境内には、「今川氏親公の墓」や歌碑・等身大の木像、苔むした石畳が美しい参道や『栴檀林』の扁額を掲げる「山門」、千手観世音菩薩を安置する「観音堂」「開山堂」などがある他、鬱金桜や御衣黄が咲く。また裏山には、南北朝時代の「安倍城跡」がある。
増善寺の見どころ
なるほど…と思える増善寺の立地!
国土交通省が毎年発表している全国の一級河川の水質現況で、2010年以降10年間で6度も水質が最も良好な一級河川に選ばれている清流 安倍川。
その畔より西へと1km程入った山麓に、今川氏親の菩提寺として知られるこの「慈悲山 増善寺」がある。
境内の高台より見下ろすと、本堂の屋根越しに、安倍川や遠く静岡の中心市街地が顔をのぞかせているのだが、その直線上にかつての今川館跡、現在の駿府城跡があるわけで、この辺りが臨済寺を訪れた時も思ったことだが、「なるほど…」と思わず納得してしまう立地なわけだ。
そんな増善寺への道のりは、前述のとおり梅ヶ島街道と言われる県道29号から、行き止まりとなる道を1kmほど分け入った先にあり、通常手前にある駐車場入口より入り、ここで車を駐めそのまま本堂方面へと向かうこととなる。
増善寺境内への出入りは、基本的にはここからとなる。
福を呼ぶ「招福達磨」
駐車場に車を駐めて増善寺の境内へと歩き出すと、すぐに目に飛び込んでくるのがこの「招福達磨」だ。
一般的に知られた人物としての達磨大師や、あの赤くてまるまるとしたダルマとも異なるので、石碑を見なければなかなか達磨とはわかりにくいかもしれないが、近づいて拝顔すれば確かに達磨である。
福を招き入れる達磨ということだが、それよりも印象的なのは、達磨の手前にある石像のお顔で、このような顔をして平穏無事な毎日を過ごせたら…などと思ってしまう。
『栴檀林』の扁額を掲げる増善寺山門
冒頭にお話しした駐車場入口を通り過ぎ30m位ほど先に進むと、実は趣のある増善寺の「山門」が建っている。
一般的には山門からアプローチするのが筋ではあるが、山門の手前に軽くロープが張られているので、ハッキリとは書かれていないものの入りにくい感じで、おそらく控えて欲しい…と察する。
門は開かれており、ロープ内に説明書きがあったりして、ここから増善寺の境内へ入ることもできなくはないのだが、苔むした石畳を守る意味でも控えて欲しい…という無言のメッセージを感じた。
山門から奥に目をやると、正面に見える本堂の扉に、足利御一家の吉良家の分家である証の今川家の家紋である「足利二つ引両」が光っているのが見える。
また山門の扁額には『栴檀林(せんだんりん)』の文字が躍っている。
『栴檀林無雜樹(栴檀林に雜樹なし)』よりきていると思われるが、栴檀とは質の良い香木の一種で、栴檀の林には他の木は育つことがないということから、清浄で正行な者が集い、不浄で雑行な者はいない・いられないという意味となる。
あまり馴染みのない奥深い禅語だが、線香に使われている栴檀は、発芽時よりよい香りを放つことから、大成する人は幼少時より優れている…という、『栴檀は双葉より芳し』のことわざでも知られる言葉である。
しばらくこの扁額を見上げていると、先程の苔の件が無いにしても、まるで勅使門の如く、ますますここから入ることがおこがましく感じられはばかられる。
最終的には個人の判断に委ねられるわけだが、出来れば山門からは入らないで欲しい…と願う。
アプローチが絵になるお寺
山門の先には、少しだけくの字に曲がった苔むした石畳が続く。新緑の季節に訪れると、周囲の木々の青葉が反射し、より一層緑が美しく輝く。
特に苔むした石畳を木漏れ日がうっすらと照らす光景は、なんとも言えず感動ものの美しさで、これだけでも増善寺を訪れる価値があると思えるほどだ。
間違いなくアプローチが絵になるお寺の1つであり、それだけにむやみにこの石畳を歩いて欲しくないと切に感じた。
晩年『今川仮名目録』を世に送り出した今川氏親も、今川家の人質だった竹千代時代の徳川家康も、この石畳を歩いていたのかな!?などと思うと、なんとも不思議なものだ。
幼少期の家康は、この参道で小鳥を捕まえ、同郷で後に「可睡斎」の住職となった仙麟等膳(せんりんとうぜん)和尚に諭されたという。
出世した家康が浜松城に、当時「東陽軒」と称した寺の11世住職だった和尚を招いた際に、家康の前で居眠りをしたことから「和尚、睡る可し(ねむるべし)」と言われ可睡和尚と呼ばれ、そこから東陽軒から可睡斎に寺の名前まで変わってしまった…という話は有名だ。
増善寺は、そんな家康と仙麟等膳ゆかりの寺でもある。
増善寺 本堂
現在の本堂は、コンクリート造で趣こそないが、ここに御本尊である室町期の作とされる延命地蔵菩薩が安置されている。
今川家の古文書や家康公が寄進したとされる天目茶碗・扇・硯などの寺宝の一部は、「静岡浅間神社」にある静岡市文化財資料館に移されている。
また没後に福島氏より寄進された「今川氏親公の木像」は、裏手にある「開山堂」に置かれている。
通常非公開だが、例年6月23日に執り行われる「今川氏親公 御命日法要」に列席すると、拝観することができる。
駿河三十三観音霊場 第16番札所
圧倒的にお参りする人が多いのが、駿河三十三観音霊場の第16番札所となっている、千手観世音菩薩像が安置されている「観音堂」だ。
失礼ながら本堂が無機質で開かれた感じがせず、なかなか愛着がわかないのもあるのだろうか、こちらが御本尊だと思っている方も多い。
赤い観音堂の周辺には、淡い黄色の鬱金桜(ウコンザクラ)や淡い緑色の御衣黄(ギョイコウ)が咲く。開花時期はソメイヨシノよりも遅めで、4月中~GWにかけてとなる。
同じ桜でもソメイヨシノのような華やかさはないが、全く異なる雰囲気のお花見が楽しめ、静岡県のお花見スポットにもなっている。
駿河七観音
千手観音が駿河三十三観音霊場の第16番札所となっているのは前述の通りだが、この観音さまはまた 安倍七観音 とも言われる 駿河七観音 の1つとなっている。
723年に行基により一本の大木より手彫りされたとされる七つの観音像の第二刻とされ、他の6つの観音さまはというと、彫り出された元となる高さ50mの大楠が立っていた第17番札所の「法明寺」を筆頭に、隠れた仏像の宝庫である第15番札所の「建穂寺」、絶好のロケーションを誇る第12番札所の「徳願寺」、第22番札所の「鉄舟寺」、第20番札所の「平澤寺」、四国八十八ヶ所を彷彿させる第21番札所の「霊山寺」となる。
扉の奥に安置されている千手観世音菩薩は、7年に一度の御開帳となる秘仏とされ、右手の写真の観音像はお前立となる。
御詠歌は『いくたびも 誓いをかけよ 増善寺 慈悲尾山の あらんかぎりは』なので、お参りの際には唱えてみよう。
今川氏親公の墓
境内にある墓地の一番左手に階段が伸びており、その一番上に、今川氏親の墓となる「今川家霊廟」がある。
もともとは斜面の途中に小さな五輪塔が建てられていたが、今はここに移されている。扉の中には3基の五輪塔があるが、2基は今川氏親と寿桂尼夫妻とされるが、もう一つは一説には子の氏輝とされているが定かではない。
1501年に今川氏親の開基により建立された増善寺だが、1526年6月23日に氏親が亡くなると、増善寺には7000人の僧侶が参列し、曹洞宗最高法式にて戦国史上例のない大葬儀が営まれたという。戒名は「増善寺殿喬山紹僖大禅定門」となっている。
氏親の父親となる8代当主(駿河今川氏6代)今川義忠は、一般にはあまり馴染みのない存在だが、北条早雲こと伊勢盛時の姉とされ、徳願寺に眠る母の北川殿や、妻である寿桂尼は、大河ドラマをはじめ歴史上によくその名が登場する人物だ。
そしてその子が、10代当主(駿河今川氏8代)今川氏輝であり、今川氏で最も有名で信長により桶狭間で散った11代当主(駿河今川氏9代)今川義元となる。
静岡ゆかりの人物の墓
写真左が本堂左手にある「無縁仏供養塔」だ。子供の守護神として知られる地蔵菩薩は、最も親しみやすい仏様であり、苦しむ人々を無限の大慈悲の心で包み救ってくれる。
写真右上の2つ並ぶ宝篋印塔は、徳川家康の従兄弟にあたる水野忠分の五男である「松平豊前守勝政の墓」と、その孫の「松平勝忠の墓」となる。
松平勝政は家康からの信任も厚く、駿府城番を務めた静岡にとてもゆかりのある人物で、この増善寺に寺領12石をもたらせた寺の功労者でもあり、1635年に63歳で没すると増善寺に埋葬された。
その下が幕末まで旗本として続いた名門柘植家の「柘植平右衛門正俊の墓」で、織田信長の五男とも七男とも伝わる織田信治の子で、駿府町奉行を務めた人物だ。1611年に没すると、同じく増善寺に埋葬された。
この他にも墓地には「開山 辰応性寅禅師の墓」や「駿府与力石家の墓」などがある他、境内にはたくさんの歌碑や石碑が建てられており、「駿河一国三十三観音札所」と刻まれた石碑や、かつて輪番制だった曹洞宗大本山の総持寺へ住持職を出す権利と義務を担っていたことを顕彰する「曹洞宗大本山総持寺の元輪番地」などの碑もある。
今川氏親公の歌碑
写真左が「今川氏親の歌碑」で、日々坐禅に励むも40歳を過ぎて未だ仏の道が見えてこない…と悩む、『いかゞえむ 四十あまりの 年のをに とかぬ所の 法のまことを』の歌が刻まれている。
わたしなどは、仏の道どころか明日のことも見えてないわけで、身につまされる歌だ。
右手は寿柱尼の本家末裔となる中御門家の、明治~昭和を生きた中御門宣子が詠んだ歌で、『戦国の 華と栄えて いく久尓 誉れ妙なり 寿桂尼大方』と、寿桂尼を讃える歌となっている。
この他写真には無いが、「今川氏親公彰徳碑」なども建てられている。
安倍城跡を仰ぎ見る
増善寺の裏山には、南北朝時代に狩野氏によって築かれたとされる、標高435.2mの山の頂に築かれた「安倍城跡」がある。
ここからではその遺構をうかがい知ることはできないが、仰ぎ見る山城の姿は雄大だ。特に5月~6月にかけての新緑の季節が美しく清々しい。
安倍城跡への登山道としては、増善寺よりも洞慶院からのハイキングコースが一般的であり、三十三の石仏巡りをしながら山頂の城跡まで行くことができる。健脚の方は、是非挑戦を!
アプローチが絵になる駿河三十三観音霊場だよ!
山門から続く苔むした石畳がなんとも歴史を感じさせる古刹で、駿河一国三十三観音の第16番札所だよ!
今川家霊廟へのお参りを忘れずに!
境内奥の高台にある、今川氏親・寿桂尼夫妻らの3基の五輪塔が収まる霊廟へお参りしよう!
異色のお花見スポットだよ!
淡い黄色の鬱金桜や淡い緑色の御衣黄が咲く、ちょっと変わった桜の名所だよ!
増善寺の見どころ
増善寺のおすすめ時期
1月 | 2月節分 | 3月 | 4月鬱金桜 御衣黄 |
5月新緑 | 6月御命日法要 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
増善寺の基本情報
名称 | 増善寺 |
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読み方 | ぞうぜんじ |
山号 | 慈悲山 |
宗派 | 曹洞宗 |
御本尊 | 延命地蔵菩薩 |
郵便番号 | 〒420-0866 |
所在地 | 静岡市 葵区慈悲尾302 |
駐車場 | あり |
お問合せ | 054-278-6333 |
公式HP | 増善寺 |
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アクセス | JR東海道線「静岡駅」 ⇒静鉄バス「慈悲尾南静岡斎場入口」下車 徒歩15分 |