建穂寺とは?
静岡県静岡市葵区にある、山号を「瑞祥山」と称した、かつて御本尊として行基作の 駿河七観音 の1つである千手観世音菩薩像を安置していた 駿河三十三観音霊場 の第15番札所。
徳川家康より駿河国で随一となる寺領480石を与えられ、観音堂と21坊を構える、学問の寺として「駿河の高野山」とも称されるほどの見事な伽藍を誇っていた。
久能寺とともに駿河を代表する古刹だったが、正式には明治の廃仏毀釈により廃寺となっており、その後1870年に伽藍が焼失したこともあり「幻の寺」と言われる。
現在寺跡には「建穂神社」が建てられており、西方約500mの弘法大師ゆかりの「林富寺」の跡に、1975年に地元町内会により観音堂が再建され、そこに奇跡的に運び出された仏像などが安置されている。
建穂寺の見どころ
幻の寺!建穂寺 観音堂
建穂寺の寺伝によると、684年に法相宗の道昭が天台宗寺院として開創し、723年に行基が再興したとされる。
その後、新義真言宗系の寺院となり、江戸時代にはさらに真言宗へと改宗し幕府の庇護のもと隆盛を極めるも、江戸末期にはかなり衰退していたとされ、明治の廃仏毀釈により廃寺となっている。
山の上の観音堂が1870年に焼失した際には、村人達により運び出され難を逃れた仏像たちが、しばらく野ざらしとなっていたという。
その後、近くにあったここ旧林富寺の境内に建っていたお堂で細々と守られてきたわけだが、現在のお堂は1975年に地元町内会の寄付により建立されたもので、仏像が約60体安置されている。
実際に往時の建穂寺の姿を目の当たりにした訳ではないが、文献等で見るあの隆盛を極めた建穂寺の末路が廃寺であり、この小さなお堂であると思うと、まさに幻の寺だと言える。
瑞祥山の山号は?
開創した道昭が観音さまのお告げを受けた時、春なのに黄金色に輝く稲穂が実った…ということから、吉兆の意味を持つ瑞祥より「瑞祥山」が山号になったという。
辞書を引いてみると、確かに「めでたいしるし。吉兆。」と書いてある。
現在のお堂に掲げられた扁額にも、「瑞祥山」の文字が刻まれている。
建穂寺の名の由来は?
山号の方は吉兆の稲穂から・・・と、教養がないと凡人にはわかりにくい謂れだが、建穂寺という寺の名は実にシンプルで、姓がそのまま寺名になったとか。
建穂寺の最後の住職となった人物も建穂俊雄であり、「建穂」姓を名乗る血縁の子孫が、今もこの羽鳥地区に住まわれているとか・・・。
建穂寺跡には建穂神社が!
建穂寺跡は、現在「建穂神社」となっている。明治時代の廃仏毀釈による結果だが、一説には檀家を抱えず寄進だけでゆうに成り立つお寺だったことが、逆に災いしたのでは…とも言われている。
若い方はなんでお寺の跡に神社が?と思われる方も多いだろうが、鳥居のあるお寺や、鐘楼や五重塔がある神社など、アレっと思う光景は、大概明治時代の神仏分離・廃仏毀釈の結果だ。
石段を上り境内に入ると、大きく姿は変えているものの、なんとも言えない雰囲気は少し感じられる。樹高40m 目通り4.4m 枝張15mの大スギも立っている。
かつての参道に思いを馳せる!
かつての参道は今の道よりも広かったとされ、その脇には延々と宿坊が連なっていたという。また桜が植えられていて、駿河屈指の桜の名所だったとも・・・。
ちなみに21坊とは、慶南院・青蓮坊・花應院・法幢院・慈前坊・心福院・圓道院・荘厳院・中性院・大正院・満蔵院・圓祐院・青花院・歓喜坊・義道坊・蓮花院・顯法院・義運坊・皆成坊・南滝院・唯心院で、この参道の両脇などに建ち並んでいたのだろう。
ただし江戸時代末期には、幕府の庇護も薄れかなり衰退していたようで、すでにほとんどの坊が姿を消していたという。
駿河の高野山
1602年に家康公より駿河一の寺領480石を賜り、久能寺と並び称された建穂寺だが、学問の寺として隆盛を極めた様子が、この絵図からもうかがえる。
今まで言葉では、駿河一だったとか大きなお寺だったとか聞かされていたが、正直この絵図を目にするまでは実感として捉えることが出来なかった。
この絵図を見た瞬間、ハッ!として想像以上の建穂寺の凄さに驚いたわけで、そこからこのお寺の魅力に惹きこまれていった感じだ。
現在の建穂神社の裏手には茶畑が広がっていて、かつての参道も前の写真の通りで、廃仏毀釈や火災により伽藍はすっかり消え、その後も七夕豪雨や土石流により壊滅的な被害に遭い、すべてが幻となって消えて行った。
もし、もしも現在21坊を抱える建穂寺の伽藍が残っていたとしたら、西山本門寺や大石寺のような広大な境内をもつ大寺院だったわけで、臨済寺をしのぎ静岡浅間神社と並ぶ一大観光名所になっていただろう。
参道にもたくさんのお店が並んでいたはずで、安倍川もちや静岡おでんを頬張りながら歩いている参詣者の姿が目に浮かぶ。
度肝を抜かれた!金剛力士像
江戸時代の1791年に制作されたとされる、右が口を開けた阿形、左が結んだ吽形と、「あ・うん」で知られる像高3.22mの金剛力士像だ。
お堂を前にした時には、ガラスが反射していてよく中が見えていなかったが、近づいて拝顔した時には度肝を抜かれた。
一説には全国で5番目とも評される素晴らしい仁王さまで、この仁王像だけでも、かつての建穂寺のスゴさが想像出来る。
元々瞳は水晶だったというが、今でも目力がスゴく迫力は十分だ。この仁王像が、24時間365日お堂の警備にあたり、睨みをきかせているわけだ。
ちなみに、1870年に廃仏毀釈や火災のごたごたの最中起きた、この金剛力士像を巡る転売騒ぎの裁判のお話しが、本になっている。
幻の寺の奇跡の仏像たち・・・
仁王像を拝顔した時の鼓動がまだ収まらないうちに、さらに堂内に入ってまたまた驚かされることとなった。まるでビックリ箱を開けた時のようで、まさかこんな所に…と。
弘法大師に千手観音、不動明王に閻魔大王、大日如来に阿弥陀如来、賓頭盧尊者に大黒様…と、この仏像を目にした時のことは今でも忘れない。
この小さなお堂の中に、平安時代後期のものが4体、鎌倉時代のものが9体、南北朝時代が25体、室町時代が2体、桃山時代が2体、そして江戸時代のものが19体と、計61体の仏像たちが眠っていた。
あまりの外観とのギャップ(お堂内外のギャップでは、県内一とも!?)に、腰が抜けそうになったが、建穂寺がただならぬお寺であったことを、またしても再認識させられることとなった。
往時を偲ぶ・・・なんて甘っチョロい表現では書き表せないスゴさであり、もし建穂寺が残っていたら、やはり静岡市内では収まり切れない県内屈指の観光名所だっただろう。
近年やっと光を浴びるようになった建穂寺の仏像たちは、少しづつ修復作業も行われ出しているようだが、明治のゴタゴタの中で、どれだけの仏像たちが消えて行ったのかを思うと、いたたまれない気持ちになる。
建穂寺との初めての出逢いは…
建穂寺の防犯上の事を考えると心配で心配で、当初はこのページにもお堂の外観しか写真を掲載していなかった。
小さなお堂の中に、そこらの博物館以上の仏像が所狭しと並んでいるわけで、本当に驚いたのだが、実は初めて建穂寺を訪れた時には、堂内を見る気は全く無かった。
予備知識も何もなく訪れたわけで、ただ観音堂の写真を撮ろうとカメラを構えていたら、突然背後から「今、開けてあげるから!」と声をかけられ、断るタイミングを逸しそのままずるずると中へと導かれたわけだ。
当然小さな小さなお堂の中に、こんなお宝が眠っているとは夢にも思わなかったので、失礼ながら捕まってしまった…という気持ちも少なからずあった。
それが前述のような驚嘆する出来事となった訳で、お声をかけて頂いたことに感謝するとともに、人もそうだが "外観だけにとらわれて物事を判断してはいけない…" と、改めて思った次第だ。
ここでも外に、お賓頭盧さま!
2023年4月5日の朝に、善光寺で発生した盗難事件を覚えている方も多いだろう。この事件により広くその名が知られることとなった賓頭盧尊者(お賓頭盧さま・おびんずるさま)は、撫で仏として知られ、東大寺や善光寺などにみられるように堂の外陣や回廊に置かれていることが多いのだが、ここでもガラス戸の前に座られている。
古の人々が、どれだけお賓頭盧さまにすがり撫でていたかは、頭・目・鼻・肩・膝などそのお姿から推察できるわけだが、その賓頭盧尊者の奥のケースには、聖観音菩薩をはじめ帝釈天や金色孔雀王などびっしりと仏像が並んでいる。
鮮やかな色彩が残されている仏像もあり、珍しい恰好やお顔立ちの仏像も見受けられ、一体一体に目をやる度に、難を逃れココに並んでいることが本当に奇跡に思えてくる。
おいたわしい千手観音菩薩像
あまたの仏像の中で、やはり目が行くのが、おいたわしい姿となっているお前立の千手観音菩薩像だ。
この像の後ろの扉の中に、桃山時代の作とされる像高130cmで楠の寄木造の千手観音菩薩像が安置されているわけで、御本尊であるとともに駿河三十三観音霊場の札所の観音さまにもなっている。
毎年8月の第1日曜日の開山忌に、この秘仏の御開帳が行われ、御本尊となる千手観音菩薩像を拝顔することが出来る。
イケメン!?な不動明王像
ポスターにもなった、このイケメン!?な不動明王立像は、像高80cmのヒノキの一木割矧造(わりはぎづくり)で、鎌倉時代の13世紀後半の慶派の作とされる。
左隣にも平安時代後期作とされる、一木造の不動明王立像があるので、そのイケメン度合いを見比べながら確かめてみよう!
豪華絢爛な弘法大師像と徳川将軍家位牌!
ガラス戸に光が反射してわかりにくいが、豪華絢爛な厨子の扉の奥に弘法大師空海の坐像が置かれている。元々は弘法大師堂として、独立して祀られていたという。
右隣にいくつか見える大きな位牌は、徳川将軍家のものだ。岡崎の大樹寺の等身大の位牌とまではいかないが、それでも大きくて立派だ。
コワいよ~!? 大黒様と閻魔大王
手前に大黒様、右上にはガラス越しに閻魔大王が控えている。
アニメの『ドロロンえん魔くん』を知る世代としては、閻魔大王はいつまでたっても怖い存在だ。法乗院 深川えんま堂の閻魔大王も、新宿の大宗寺の閻魔大王も、それはそれは怖いわけで、眼前では絶対に舌は出さないようにしよう。
それにいつもはニコニコしている大黒様までコワいコワい存在に見える。そんな目で見ていると、ご利益が逃げて行ってしまうのだが。
…と、その他にもご紹介しきれないほどたくさんの仏像が置かれていて、どれもこれも博物館に並びそうなものばかりで、防犯カメラや発報設備はあるものの、それでも意に介さず押し入る近頃の強行犯を考えると、本当に大切な大切な仏像たちが盗まれないか心配になる。
今までお寺を訪れて、そんなことを考えたりそんな気になったりしたことは一度も無いわけだが、それだけ自分にとってこの「建穂寺」が特別な存在になっているということだろう。
そのことは、当初の思惑とは違って、この建穂寺にこれだけのページを割き、これだけの量の記事を書いていることからも明らかだ。
最後にもう一度トップの観音堂の写真を見て欲しい。
失礼ながら、すでに廃寺となったたった間口三間のこのお堂に、これだけ掻き乱され心を動かされたわけだから、これぞ幻の寺の凄さであり、これがあるから歴史をたどる旅はオモシロいわけだ!
幻の寺の奇跡の仏像たちをご覧あれ!
伽藍がすっかり消え、度重なる被災を乗り越えこれだけの仏像が残ったのは奇跡だよ!
稚児舞のルーツはココ!
家康公ゆかりの「静岡浅間神社」の稚児舞は元々建穂寺のもので、ここから出向き奉納されたものなんだよ!
建穂寺跡を訪ねてみよう!
仏像たちを見たら、かつての建穂寺の姿を想像しながら、境内跡を散策してみよう!
建穂寺の見どころ
建穂寺のおすすめ時期
1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月開山忌 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
建穂寺の基本情報
名称 | 建穂寺 |
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読み方 | たきょうじ |
山号 | 瑞祥山 |
宗派 | 真言宗 |
郵便番号 | 〒421-1214 |
所在地 | 静岡市 葵区建穂2-12-6 |
駐車場 | なし |
お問合せ | 054-251-5880(するが企画観光局) |
するナビ | 静岡市の観光スポット |
アクセス | JR東海道線「静岡駅」 ⇒静鉄バス「服織小学校入口」下車 徒歩8分 |