日本三大だるま市
小倉 百人一首におさめられ、万葉歌人の山部赤人が詠んだことで知られる『田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ』の歌に登場する田子の浦。
当時の田子の浦は、今よりも西の静岡市の薩埵峠沿岸だったとされていますが、美しい砂浜が広がっていたであろう田子の浦はその様相を変え、製紙業を支える重要な港を抱える地として、富士市にその名が残されています。
その田子の浦の海岸近くに建つ日蓮宗寺院の「香久山 妙法寺」で、毎年旧暦の1月7日~9日にあたる3日間開催されるのが、群馬県の「高崎」、東京の「深大寺」と並び、日本三大だるま市として知られる「毘沙門天大祭だるま市」です。
「毘沙門さん」の名で親しまれている妙法寺には、御本尊とは別に四天王だと北方を守護する「多聞天」にあたる、インドの「クーベラ神」を源流とする武勇・財宝の神である「毘沙門天」が祀られており、インドや中国寺院の様式を採り入れた様々な建築様式の建物が見られる不思議なお寺となっています。
オリエンタルムードが漂うちょっと異色の寺院である妙法寺を舞台に、所狭しとダルマ店が並び大きな掛け声とともに縁起物の「ダルマ」が売り買いされるのが、「毘沙門天大祭だるま市」です。
普段は近くに工場が建ち並ぶこともあり、殺風景なこのお寺の周辺が、この時だけはにわかに活気づき、JR東海道線の吉原駅からの通り沿いには、約1kmに渡り延々と露店が連なり「東海一の高市」と称され、その前では子供たちの賑やかな声が飛び交います。
昔ながらのお祭りムード一色となるこの「毘沙門天大祭だるま市」には、毎年全国各地より大勢の来場者が押し寄せ、富士市の一大イベントのみならず静岡県を代表するお祭りとなっており、生産数や知名度こそ高崎に劣るものの、最盛期にはその規模や来場者数は全国一と言われ、その数は50万人にも及んだと言われています。
残念ながら不景気や人口減少、世代によるダルマ離れなどの時代の流れには逆らえず、年々その規模は縮小し、現在では約50のだるま屋と500の露店、来場者数も20万くらいと言われています。
しかしながら"日本三大だるま市"として、また"静岡県を代表する冬の風物詩"として、祭りの活気は今も昔も変わらず、妙法寺境内を舞台に壮大なダルマ市が繰り広げられています。
思わず柏手を打ってしまう、不思議なお寺
この「毘沙門天大祭だるま市」が行われる妙法寺は、寺名よりも毘沙門天の方が有名になっていますが、日蓮宗ということでも分かるように御本尊は一塔両尊で、毘沙門天はもともとこの地に祀られていた鎮守さまでした。
私も長らく勘違いをしていましたが、多くの方がお寺の名前も知らずに、どこに御本尊が安置されているのかも分からずにお参りをされているのではないでしょうか。
ひょっとしたら正面入口に鳥居が建っていることから、お寺だという認識もなくお参りをされている方もいることでしょう。
そんなことからか、以前は境内図でも「聖徳太子」作と伝わる「毘沙門天像」が安置されている正面のお堂を「毘沙門堂」と記し、その右に「客殿」「練成道場」と続き、その手前が「本堂」とされていましたが、最近では公式HPでも、正面に建つ毘沙門堂を「本殿」と呼ぶようになっており、本堂の存在が薄れています。
ちょうど東京の「柴又帝釈天」と同じ感じで、帝釈天も日蓮宗の題経寺というお寺で、皆がお参りする正面に建つお堂は帝釈堂であり、その右手に本堂があるのですが、ほとんどの方は見向きもしません。
天部があまりにも有名な故にそうなっているのですが、その毘沙門さまが大祭の間だけ現世に下り、煩悩や苦しみに悩まされる人々の願いを聞いてくださるとのことで、祭り期間中にお参りすると「一粒万倍の功徳あり」と古くから言い伝えられています。
実にご利益の大きいお祭りであり、毎年多くの参詣客がこの毘沙門天をお参りするために遠方より訪れるのですが、「毘沙門天大祭だるま市」を訪れる方の中には、このことを知らずにダルマ市だけに来られる方や、ダルマを購入することに夢中になり、ついついお参りを忘れて帰ってしまう方もいらっしゃいます。
せっかくの一粒万倍のチャンスですので、この機会を逃すことのないように、くれぐれも毘沙門天をお参りすることを忘れないで下さい!
それとたまに見かける光景なのですが、お参りの際に柏手はいりません。本殿の造りや鳥居があること、注連縄があること、紅白の横断幕が張り巡らされ朱色が多用されていることなどから、神社のような錯覚に陥り、思わず柏手を打ってしまいがちなのですが、あくまでもお寺であり、仏神とはいえ毘沙門天は天部で仏像なので、柏手は必要ありません。
そんなバカな…とお思いの方も、一度このお寺の境内を巡ってみれば納得されるかと思います。お寺とは思えない不思議なものがたくさんあり、ここがお寺であるという認識が薄れてしまっても不思議ではない所です。
なかなか文章では伝わらないかと思いますので百聞は一見に如かず、訪れた際にはその一風変わったお寺の姿にも注目していろいろと境内を巡ってみて下さい。
「鈴川だるま」の顔に注目!
そんな妙法寺の「毘沙門天大祭だるま市」の店先には、様々なダルマが並びますが、そこで売られているダルマは、今でこそ生産数が減ってしまいましたが、かつては隣町である鈴川で生産されたダルマが主役でした。
その地名より「鈴川だるま」と言われるこの地区独特のダルマは、現在でも少量ながら受け継がれ生産が続けられており、毎年この境内にその姿を見せてくれます。
この「鈴川だるま」にはいくつかの種類があるのですが、最も一般的な「鈴川だるま」は、ダルマの特徴である髭が控え目でおとなしく、目鼻立ちがやさしく感じられるダルマで、高崎をはじめとした縁起物の鶴と亀を模した顔のダルマとは一線を画す顔立ちとなっています。
境内にはこの「鈴川だるま」をはじめ、いろんなダルマが売られているのですが、遠方よりお越しの方の中には、サイズや値段ばかりに目がいってしまい、開眼してもらう時にはじめて自分が買ったダルマの顔立ちが違うことに気付く方もいるようです。
「鈴川だるま」の存在は知っていても、どれが「鈴川だるま」か分からない方も多いかと思いますし、そう言う私も長らくこの「鈴川だるま」のことは知らずにダルマを買いに来ていた一人です。
一度覚えてしまえばなんとなく判別はつくのですが、「鈴川だるま」といっても前述のとおりいくつか種類があり、中には前者とは正反対の見るからに髭が濃くてたくましく、三国志の英傑「関羽」のような顔立ちのダルマもあり、さすが武勇の神の毘沙門さんのだるま市だ…と変に納得するようなダルマもあります。
若い人にはお笑いタレントのイモトさんの眉!と言った方がわかりやすいかもしれませんが、これらは「毛付」と言われ、その顔のインパクトから印象に残っている方も多く、これこそが「鈴川だるま」だと思っている方も多いようですが、比率的には1~2割程度で、一般的には前者のダルマが多いようです。
また「毛付」は静岡の他のダルマにもあるので、「毛付」=「鈴川だるま」かと言われると、必ずしもそうではないようです。
他にも髭男爵のようなダルマや、煌びやかなダルマなど、よくよく一つ一つ眺めてみると、生産地や生産者によりここまで違うのか…というほど、同じダルマでもかなり異なっており、改めてそのことに気付くだけでも、この「毘沙門天大祭だるま市」に来たかいがあると思うわけで、実に勉強になります。
日頃ろくに顔も見ず、ただダルマという言葉ですべてを括ってしまっていることが多く、この「毘沙門天大祭だるま市」を訪れると、改めてダルマの奥深さと個々のダルマの存在感を肌で感じとることができます。
これもたくさんの種類のダルマが集まる「毘沙門天大祭だるま市」ならではのことですので、訪れた際には一軒一軒そのダルマの表情をうかがいながらお店巡ってみて下さい。
生き場を失う、伝統の「鈴川だるま」!
そんな特徴的な顔立ちを見せる「鈴川だるま」ですが、現在では「鈴川だるま」の生産業者は数軒にまでその姿を減らしています。
そんな中、「鈴川だるま」の伝統を受け継ぎ、毎年境内に元気な姿を見せてくれているのが、創業90年という老舗の「杉山ダルマ店」です。
もともと鈴川ではじめたこの「杉山ダルマ店」は、現在では富士宮市にその拠点を移し伝統の技を守りながら、毎年だるま市に向けて、コツコツと生産を続けています。
鈴川地区でダルマづくりが行われだしたのは、一説には江戸時代にまで遡ると言われていますが、その背景には現代においても息づく富士の「紙の町」としての歴史があります。
今から約200年前の江戸時代、この富士市吉原一帯では「駿河半紙」の原料となるミツマタの栽培が盛んに行われており、これと富士山の恵みである豊富な湧水が結びつき、製紙業が営まれるようになりました。
この製紙業の発展とともに、その過程で生まれる紙の端切れの有効利用の一環として誕生したのがダルマづくりでした。
この製紙業から派生したダルマづくりは、時代とともに徐々に盛んになっていき、その流れは昭和になって顕著となり、鈴川地区はダルマの生産地として全国に知られるところとなりました。
しかしながら、縁起物として古くから庶民に親しまれてきたダルマも、現代社会においては商売人や政治家を除くと、なかなか一般には縁のない存在となってきて、選挙の時以外には、その姿を見る機会もグッと減ってきました。
そんなあおりを受けて生産量も年々落ち込み、経済的な理由や後継者不足から廃業に追い込まれる店も多くみられ、移り変わる時代の中で、この「鈴川だるま」も生き場を失っています。
サイズも色も、実に多種多様なダルマ達
この「毘沙門天大祭だるま市」で売られているダルマには、高さが72㎝にもなる「大特大」サイズから「特大」「大極上」「極上」「特一」と続き、「大一」「一号」「二号」…「拾号」などの昔ながらの規格のダルマが並べられています。
そこにプラスして、ミニサイズやミニミニサイズなどの新しい規格のダルマが登場し、さらには色も定番の赤以外にカラフルなダルマが作られるようになり、お店により本当に多種多様なダルマが並ぶようになりました。
またその並べ方も、店の奥にズラリと横一線にサイズごとに並べられているお店もあれば、ただただ無造作に置かれているお店、台にごちゃ混ぜで山積みになっているお店など、これまたいろいろです。
値段も300円前後のものから数万円というものもあり、会社や事務所で購入する方から個人で購入する方まで客層もまちまちであり、その願い事はもちろんのこと、その用途もまた様々です。
売れ筋はやはり2000円~4000円といったところのようですが、ダルマ以外にも、綺麗な飾り付けが印象的な「熊手」や「お飾り」なども売られており、目移りしているとあっと言う間に時間が過ぎていきます。
特にダルマ以上に行きかう人の視線を集めているのがこの熊手やお飾りで、キラキラして実に華々しいもので、祭りの雰囲気を盛り上げる意味でも一役かっています。
熊手やお飾りにはテーマ性があるものが多く、見ごたえのあるものもたくさんあるので、じっくりと眺めてみるのも楽しいですよ!
ダルマ開眼をお忘れなく!
この「毘沙門天大祭だるま市」では、本堂に向って左手に、特設の「ダルマ開眼受付」が設けられています。
お店で購入したダルマに、ここで目を入れ御祈祷してもらうことができるのですが、受付の前には購入したばかりのダルマを両手に抱えながら並ぶ人々の行列ができています。
開眼料はダルマの大きさにより異なり、大きいものでは10,000円もの開眼料がかかるのですが、縁起物だけにここは開運のためにも、毘沙門さんできちんと開眼してもらうことをおすすめします。
自分で墨入れをしても特に問題はないのですが、開眼せずに持ち帰る大きいダルマよりも、サイズダウンしてでも開眼祈祷してもらったダルマの方が、ご利益があるように思われます。
ご予算が厳しい方は、ダルマ購入の際には、開眼料も考えサイズを決めてみて下さい!
ちなみに、一般的にはダルマの左目(向かって右)に墨を入れ、満願したら右目を書くというのが多いようですが、毘沙門さんでは吉方等いろいろあるようで、公式HPの写真の中にも右目を開眼しているダルマがあるように、その年により左右どちらの目になるのか墨入れが変わるようです。
また、境内の一角には古くなったダルマを納める「古ダルマ納所」が設けられています。
訪れる際には、旧年度のダルマや願いが成就したダルマなど、お世話になったダルマを持参することもお忘れなく。
ダルマを一般ゴミで捨てる方はいらっしゃらないと思いますが、縁起物ですので勝手にご自身で償却するのではなく、ちゃんとお納めになることをおすすめします。
恐るべし、超特大ダルマ!
みなさんはダルマというものをどう捉えていますか?
本殿をお参りすると自然と目に入るかと思いますが、本殿内に笑った顔がちょっと不気味な…、何かこちらのことがすべて見透かされているような、意味深長な笑みを浮かべる超特大ダルマが置かれています。
なかなか珍しいあまり目にしない顔立ちのダルマなので、一度見たら忘れることはないかと思いますが、このダルマが不思議な機会を創出してくれました。
私は幼心に初めてダルマを見た時から、ダルマは置物というより愛嬌のある玩具としての印象が強く、高校時代に別知識として「達磨大師」の存在を知った後も、なかなか両者が直接結びつくことはありませんでした。
人生においていつ頃正確に、このダルマというものを認識したのだろうか…と自問してみても、子供の頃の「だるまおとし」や倒しても倒しても置きあがってくる「起き上がりだるま」の玩具としての印象や「必勝ダルマ」のイメージはあるものの、禅宗の開祖として知られる達磨大師の坐禅姿を模した置物というイメージは未だにありません。
おそらく毎年のように各地で行われる選挙の当選者ですら、ただ慣習として必勝ダルマに目は書き入れても、それが達磨大師の顔であると認識しながら書き入れている方はいないのではないでしょうか。
ダルマを見てそこに達磨大師を感じたり、ダルマと一対一で向き合う機会など、おそらく意識をしなければ一生訪れないように思えます。
私も長らくダルマというものと向き合うことがありませんでしたが、この「毘沙門天大祭 だるま市」で出合った一風変わったこのダルマのおかげで、ダルマというものを改めて捉え、ダルマ本来の姿とも言うべき達磨大師の姿を感じつつ向き合うことができました。
不思議なことに、土肥の「達磨寺」や「下田達磨大師」、日本一の達磨大師像がある笠間の「鳳台院」を訪れた際には、達磨大師とは向き合えてもそこにはダルマの影は無く、今度はそれがダルマとは結び付かないわけで、なかな両者が交わる瞬間がありませんでした。
それがこのちょっと変わったダルマの顔をジッと眺めていると、徐々にダルマの世界から離れていき、初めてその奥に達磨大師の世界が感じられ、今まであれだけダルマと接していながら、一体自分は何を見てきたのだろう…と省みるほど、改めて気付くことが多く、人生においてもこのようになんとなく漠然としたイメージで流してしまっていることが多いことに、今更ながら気付かされました。
だから何なのよ…と言われればそれまでですが、個人的には人生において見過ごされてきたことに、この年になって向き合える幸せというか、キッカケがここにあったことが興味深く思え、恐るべしこのダルマ…という感じです。
人それぞれ感じ方は違うわけで、皆さんがどう感じ捉えるかはわかりませんが、なるほどねぇ~と少しでも興味を持たれた方は、是非一度「毘沙門天大祭だるま市」を訪れた際に、この超特大ダルマと一対一で真剣に向き合ってみてください。その顔の中から、何か新しい発見があるかもしれませんよ!