指月殿とは?
静岡県伊豆市の 修善寺温泉 の高台に建つ、鎌倉幕府初代将軍 源頼朝の正妻にして "尼将軍" と言われた 北条政子 が、実子でありながら不憫な一生を遂げた鎌倉幕府2代将軍 源頼家 の冥福を祈り 修禅寺 に寄進した経堂。
鎌倉時代初期 の建築物で、伊豆最古の木造建築とされ、堂内には御本尊となる鎌倉時代の作で蓮の花を手にした 釈迦如来坐像 が安置されている。
尚、阿形・吽形の2体の 仁王像 は、2014年の修禅寺山門の改修の折に遷座しており、現在その姿はない。
指月殿の見どころ
風格のある佇まいを見せる "指月殿"
独鈷の湯(とっこのゆ)と並び修善寺を代表する観光名所として知られ、伊豆八十八ヶ所霊場 の最後を飾る第88番札所となっている 修禅寺 と、桂川を挟んで対峙する鹿山の麓に、ひとつのお堂が建っている。
あの世界的権威のグリーン・ミシュランこと "ギド・ヴェール" にて、見事 二ツ星 に輝いた観光名所であり、伊豆で最も歴史ある温泉場として知られる 修善寺温泉 に相応しい、風格のある佇まいをみせているそのお堂が、この『指月殿』だ。
私はこの修善寺の『指月殿』を見る度に、同じ温泉場の外れにひっそりと佇む、長野県の 鹿教湯温泉(かけゆおんせん)にある文殊堂を思い起こす。
建てられた年代は大きく異なるのだが、どちらも川沿いに広がる温泉地の中心付近に位置していながら、通りからは外れた小高い場所にあり、人影も少なく、また特別有名なお堂というわけでもなく、それでいて素朴で風格のある佇まいを見せていることから、見る者を惹きつける魅力があり、一度訪れると記憶に残る建物となっている。
歴史に興味がある方や、建築に興味がある方を除けば、おそらくそれほど見るべきものは無いお堂だろう。
だが 竹林の小径 や 日枝神社 など趣のある場所が数多く点在する修善寺温泉にあって、埋もれることのない存在感を放っているのが、この『指月殿』だ。
伊豆最古の木造建築!
修禅寺から桂川に架かる 虎溪橋 を渡ると、かつて修善寺にあった外湯の1つとされる "箱湯" をルーツに持つ 筥湯 や、"杉の湯" をルーツとする足湯の リバーテラス杉の湯 などが道の左右にある。
そこを抜け、そのまま指月荘の横を進み石畳の坂道と階段を上って行くか、一度右に折れすぐに矢印に従い左に折れ道なりに行くと、『指月殿』に至る。
『指月殿』は、鎌倉時代初期 の建築物で、鎌倉幕府を開いた初代将軍 源頼朝の正妻にして "尼将軍" と言われた 北条政子 が、修禅寺に寄進した経堂と伝えられている。
伊豆半島で最も古い木造建築物 として知られ、映画やおとぎ話に出てきそうなその佇まいは、古く傷んでいるというよりも、何か語りかけてくるような何とも言えぬ空気感が漂っており、現在に至るまでこのお堂が積み重ねてきた歳月と長い歴史の重みが感じられる。
そしてこの『指月殿』が建てられた背景には、武家社会におけるお家騒動の悲しい物語があるのである。
時代に翻弄された『修禅寺物語』の主人公とは?
『指月殿』を語るうえで欠かすことができないのが、映画や歌舞伎で有名な岡本綺堂の『修禅寺物語』の主人公として知られる、鎌倉幕府2代将軍 源頼家 の存在だ。
源頼家の墓 が、この『指月殿』横の 源氏公園 に 十三士の墓 とともにあるのだが、頼家は1199年に父頼朝の後を受け家督を継ぎ、征夷大将軍となった人物だ。
ところが家督を継いでからというもの、北条氏を中心とした豪族を掌握することができず、そんな中、1203年に病に伏せると一気に家督問題が生じ、混乱の中 修禅寺 に幽閉されることとなった。
そして元久元年(1204年)の7月18日に、北条の手の者により暗殺され、23年という短すぎる生涯に幕を閉じることとなった。
頼家が幽閉先の修禅寺の門前にあった中湯(箱湯)に入浴していたという記述が残ることから、暗殺されたのもこの場所では…とする説もある。
そんな若くして不憫な一生を遂げた頼家の冥福を祈り、複雑な関係ながら実母であった北条政子が建立し、「宋版大般若経」を納め寄進した経堂が、この『指月殿』というわけだ。
一説には、頼家の怨念を封じこめるために、頼家の亡骸の上に建立したとも伝わるが、真偽のほどはわからない。
蓮の花を持つ 釈迦如来坐像!
『指月殿』には、長らく1982年の夏から約2年にわたり修復作業が行われ蘇った、3体の仏像が安置されていた。
お堂の中心に安置されているのが、静岡県指定文化財となっている御本尊の 釈迦如来坐像 で、像高203cm 膝張り169cmというスギなどの寄木造りで、鎌倉時代の作とされ、蓮の花を手にした禅宗式というとても珍しい坐像となっている。
そしてその釈迦如来坐像の両側に、右に "阿形" 左に "吽形" と、かつて横瀬地区にあった寺門を守っていたとされる2体の 仁王像 が安置されていたのだが、2014年の修禅寺山門の改修により、現在はそちらに 遷座 されていて姿を消している。像高183cmで、釈迦如来坐像よりも古い藤原時代の作とされている。
ちなみに横瀬地区と言えば、修善寺駅から狩野川を渡った下田街道沿いのエリアで、今の修禅寺境内からは、2kmくらい離れた場所となる。
当時この地に "寺門" があったというのだから、それだけでもいかに修禅寺が大きなお寺であったかを伺い知ることが出来るのだが、実は "総門" はさらに遠くの瓜生野地区にあったとされており、さらに西の端は西伊豆スカイラインが走る 修禅寺奥の院 の先の達磨山近くまで寺領が及んでいたというのだから、改めてその広さに驚く。
それを物語るように、修禅寺に広大な寺領が文字入りで詳細に記された絵地図が残されており、「寺地は歩いて一日かかるほどのものだった…」という古文書の文言どおりに、修禅寺の寺領は東西数kmに及ぶ実に広大な敷地となっていたようだ。
参考までに現在のお寺の境内で言えば、静岡県内では富士宮市にある 西山本門寺 の黒門から本堂までが約1km、広大な 大石寺 でさえ総門から泰安堂まで約1.2kmなので、いかにこの修禅寺が広かったかが分かる。ちなみに平城京の羅城門から大極殿までが、約4.7kmで、現在の修禅寺から修禅寺奥の院までの距離とほぼ同じとなっている。
味のある 一山一寧 の書による扁額
話が逸れたが、そんな修禅寺の経堂だった『指月殿』には、元からの渡来僧で書家として知られる 一山一寧 (いっさんいちねい)の書とされる 扁額 が掲げられている。
一山一寧は、後に 建長寺 や 南禅寺 などの住持として、さらには五山文学の礎を築いたとされる高僧で、なぜそのような高僧がこの『指月殿』の扁額を…と思われる方もいると思う。
実は一山一寧は1299年に、時の執権 北条貞時 により一時期この地に幽閉されており、心ならずもそこから修善寺とゆかりを持つ人物となった。
他にも県内には、松崎町の 帰一寺 や、由比の 最明寺 など、一山一寧ゆかりのお寺があるので、気になる方はそちらも訪れてみてほしい。
そんな一山一寧による扁額なのだが、現在掲げられている扁額は 複製 で、現物は修禅寺で大切に保存されている。複製とは言えその書体は一見に値するものとなっているので、是非とも見上げてじっくりと一山一寧の書を眺めてみてほしい。
禅の奥儀 "指月" とは?
一山一寧の筆による特徴的な文字を眺めていると、ふと "指月" とはなんぞや?と思う。
この『指月殿』というお堂の名の由来には、禅の教えが深くかかわっているのだが、 北条政子はこの『指月殿』とともに、仏教の経典である「大蔵経」(だいぞうきょう)や、釈迦三尊像を刺繍で表した「繍仏」(しゅうぶつ)などを、修禅寺に寄進したとされている。
その多くがすでに失われていて、現存するのは静岡県指定文化財となっている般若心経のひとつである「放光般若波羅蜜経」(ほうこうはんにゃはらみつきょう)の巻第二十三をはじめとしたわずか8巻にとどまっている。
そんな経典の禅の世界におけるあり方を説いたものに、"不立文字"(ふりゅうもんじ)という言葉がある。この『指月殿』という名前は、この禅の世界で用いられる禅宗の根本的立場を示す不立文字の "指月" の例えからきているとされている。
禅の世界では、経典などはその方向性は示すものの、言葉では本来のお釈迦さまの教えは伝えられない…とし、文字や言葉による伝達を避け、座禅にひたすら励むことにより、以心伝心、お釈迦さまと同じ境地に達し自ら悟ることを目指している。
その例えとして "指月" が用いられ、月を指す "指" を経典に、その延長線上にある "月" を仏の教えとし、月に辿り着くことがすなわち悟りの境地としている。
"月" (仏の教え)を知る上で、経典はあくまでも "指" であり、その方向を示す便宜的なものであり、決して "月" そのものではなく、あくまでも座禅により以心伝心、自らが "月" に辿り着くことが重要であると説いているのである。
とても奥深い言葉であり、頭では理解できるものの、その実は尊い悟りの世界であり、そのような心持ちでこの『指月殿』の扁額を見上げ、さらにその先に上る月を眺めるのも、これまた一興ではなかろうか。
あなたはその "月" に何を見出すであろうか?
800余年の歴史が語りかける不思議な魅力とは!?
800余年という長い歳月の中で、この『指月殿』には様々な著名人が訪れ、この場に立ち感じたことを、思い思いに詩や言葉として残してきた。
同じように、地元の方々をはじめ修善寺の地を訪れた旅人たちが、この『指月殿』というお堂の歴史を知り、悲しい結末を迎えた歴史上の人物の姿を思い描きながら、お堂の前で足を止め手を合わせた。
何も知らなければ、これといって見るべきものがないように思われるお堂だが、修善寺という湯まちが単なる温泉地ではなく、実は日本を揺るがす歴史の舞台であったことと同様、この『指月殿』もまた単なるお堂ではないことが、見る者を惹きつけ、このお堂の不思議な魅力となっている。
湯上りにぷらっと訪れ、単に「いい感じの場所だねぇ~」で終わらない旅の楽しみ方を、この『指月殿』は、漂う空気感とともに建物全体で教えてくれている感じがする。
あなたはこのお堂の前で、どのような心持ちになっているのだろうか?
源頼家ゆかりの伊豆最古の木造建築だよ!
鎌倉時代初期の建築物で、尼将軍と言われた北条政子が、時代に翻弄され若くして不憫な一生を遂げた実の子である鎌倉幕府2代将軍 源頼家の冥福を祈り建立し、宋版大般若経を納め修禅寺に寄進した経堂だよ!
一山一寧の書による扁額に注目!
"指月" は、悟りの境地は文字や言葉では伝えられない…という、禅の世界における不立文字の例えなんだよ!
800余年の歴史が語りかける不思議な魅力を感じよう!
指月殿とともに隣接する源氏公園にある、源頼家の墓 や 十三士の墓 にも手を合わせよう!
指月殿の見どころ
指月殿のおすすめ時期
1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月頼家祭り | 8月 | 9月 | 10月菊飾り | 11月菊飾り | 12月 |
指月殿の基本情報
名称 | 指月殿 |
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読み方 | しげつでん |
英訳 | Shigetsu-den |
宗派 | 曹洞宗 |
郵便番号 | 〒410-2416 |
所在地 | 伊豆市 修善寺934 |
駐車場 | なし |
お問合せ | 0558-72-2501(伊豆市観光協会) |
するナビ | 修善寺の観光スポット |
アクセス | 伊豆箱根鉄道「修善寺駅」 ⇒東海バス「修善寺温泉」下車 徒歩8分 ⇒伊豆箱根バス「修善寺温泉」下車 徒歩8分 |