人穴富士講遺跡とは?
静岡県富士宮市の、明治の神仏分離令以前は「光侎寺(こうきゅうじ)」と称した「人穴浅間神社」の境内にある、総延長83.3mの溶岩洞穴の「人穴」と、1964年までに富士信仰の一派である「富士講」講員が建立した、233基の「碑塔群」からなる遺跡。
古くは鎌倉時代の歴史書である『吾妻鏡』に、浅間大菩薩の御在所としてその名が登場し、1203年に源頼家が富士の巻狩の際に、新田四郎に命じて人穴を探検させたという記述がある他、1582年にはあの織田信長も訪れたという記録が『信長公記』に残る。
また富士講信者の聖地で、江戸時代に富士講の開祖として知られる「角行(かくぎょう)」こと長谷川左近藤原邦武が、役行者のお告げにより人穴を訪れ、仙元大日神の教えを受けたとされる修行場。
ここでつま先で角材の上に立ち行った千日行が、角行の名の由来とも言われ、修行の末に1560年に18歳で開眼すると、その教えは江戸を中心に広まり富士講が生まれた。一説には、1646年に106歳で入滅したのも、この人穴と伝わる。
2013年6月22日には、『富士山-信仰の対象と芸術の源泉』の構成資産の一部として、世界文化遺産に登録されている。
人穴富士講遺跡の見所
富士人穴の扁額を掲げる石鳥居
昔は今以上に人影がなく、名前が名前だし、心霊スポットとして有名だったことから、なかなか一人でこの鳥居を潜るのには勇気がいる場所だった。抜け道として前はよく通ったが、しばらくこの先に何があるのか知らずにいた。
桜の花まで不気味に…
春になると境内に桜が咲く。鳥居をくぐり、90度に折れる参道沿いには、桜並木という程ではないが桜が植えられ花を咲かせている。以前は桜の花まで不気味に覚えて、まるで美しさを感じなかった。未だにその感はあるが…
人穴富士講遺跡
富士山の溶岩流によってできた総延長83.3mの溶岩洞穴で、内部には入口約20mの位置にある祠をはじめ、碑塔3基と石仏4基がある。また上部には、赤池家が管理していた光侎寺の大日堂が建てられていた跡が残る。
人穴洞穴
世界遺産登録後、文化財保護や安全上の問題から、無許可での洞穴内への立ち入りが禁止されていたが、現在は事前予約により、ガイドが駐在する案内所の開館日に、人穴に入洞できる。写真は一応自主規制で…!?
肝試しスポットだった人穴
昔より地元では有名な心霊スポットだったが、2008年放送の『ぷっすま』では、剛くんやユースケがかなりおちゃらけて人穴で肝試しロケを行っていた。その頃は出入り自由だったが、それから5年でまさか世界遺産とは…
233基の碑塔群
建立年代のわかる碑塔89基の中で、最古のものは人穴にある江戸時代の1664年で、最新は昭和時代の1964年とちょうど300年だ。刻まれた地名の多くが江戸下町で、静岡県内は1つしかなく、富士講信者の分布がよく分かる。
人穴浅間神社
神仏分離令により、光侎寺に替わり置かれた神社だ。正式名称はただの浅間神社。1942年に少年戦車兵学校の演習地として接収され一時期移転していたが、1954年に戻された。現在の社殿は、2001年に建立されたもの。
宝篋印塔
江戸時代の1845年に、長谷川角行の200年忌に際して建立されたもの。光侎寺の時代のもので、鳥居や社殿が視界に入らなければ、今も尚お寺の雰囲気がそのまま残る所だ。
地元では肝試しの心霊スポットとなっていた場所だよ!
世界遺産登録以前は心霊スポットとして有名で、人気テレビ番組だった『ぷっすま』でも、草彅剛とユースケ・サンタマリアが、人穴で肝試しをしていたよ!
織田信長も人穴見物に訪れているよ!
本能寺の変の2か月前の天正10年4月12日に、人穴を見物し茶屋で一服したと『信長公記』にあるよ!
人穴には、許可なく立ち入らないこと!
昔は自由に入れたが、現在は無断で入れないので注意! 事前予約により入洞可能!
人穴富士講遺跡 編