静岡市観光ガイド静岡浅間神社

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Vol . 34

静岡浅間神社

Shizuoka

静岡

5つ星評価

静岡浅間神社

Presented By 星★聖

静岡浅間神社(静岡市)

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静岡浅間神社をご覧の皆様へ

静岡浅間神社しずおかせんげんじんじゃとは?

静岡県静岡市にある「おせんげんさん」として広く親しまれている、大己貴命を主祭神として祀る 神部神社、木花之佐久夜毘売命を主祭神として祀る 浅間神社、大歳御祖命を主祭神として祀る 大歳御祖神社 の三社からなる神社で、「静岡浅間神社」はその総称。

神部神社が 駿河国総社 となっていることから、静岡浅間神社そのものが駿河国の総社として崇められ、時に静岡の 総鎮守総氏神守護神 などとも言われる。

境内には三社以外にも、麓山神社八千戈神社少彦名神社玉鉾神社 などの境内社が鎮座しており、徳川家康 ゆかりの神社としても知られている。

また江戸時代後期の1804年より60年の歳月をかけ再建が行われていった、"東海の日光" とも言われる総漆塗り極彩色の社殿など豪壮華麗な建築群のうち26棟が、国の重要文化財 に指定されている。

星★聖の名勝・史跡探訪記

静岡浅間神社の見どころ

静岡の守護神!「おせんげんさん」

静岡浅間神社

静岡の町で神社と言えば、まっ先にその名が挙がるのが「おせんげんさん」として皆に親しまれている、ここ 『静岡浅間神社』(しずおかせんげんじんじゃ)だ。

静岡浅間神社は "駿河国総社" として、また静岡の 総鎮守守護神 として広く信仰を集めている神社で、初詣 をはじめ 七五三お宮参り合格祈願 に厄払いと、静岡の人々の生活と切っても切れない関係にある。

また 徳川家康 ゆかりの神社としても知られており、県内外から多くの参拝客が訪れるとともに、春には境内に趣のある桜が咲き、桜の名所 としても人気の神社となっている。

そんな静岡浅間神社は、静岡駅から県庁や 駿府城跡 となる 駿府城公園 前を通り北西へと走る、通称 "御幸通り" "安倍街道" と呼ばれる県道27号線と、"長谷通り" "麻機街道" と呼ばれる市道とに挟まれた 賤機山(しずはたやま)の先端の山裾にあり、地形的にはかなり特異な場所にある。

2022年11月に放送されたNHKの『ブラタモリ』でも、県道沿いに北から南へと水路を流れて来た水が、この賤機山の先端となる静岡浅間神社でU字に曲り、ここから市道沿いに北へと流れ出すというとても珍しい地形にあることが紹介されたが、地元の人でも『ブラタモリ』を観るまで気づかなかった…と言う人が多かったようだ。

ちなみにこのU字に曲がり北へと続く水路の辺りが「一つ石」という "静岡浅間神社の七不思議" の1つとなっている。何が不思議かは諸説あり、かつて境内にあった「静岡市文化財資料館」では、水路の側面の石積みの石が一枚の石から切り出され、すべて同じ大きさ・形で一様になっているとの説明だったが、水路の底が一枚岩になっているという説もある。

気になる方はご自身で調べてみてほしいが、個人的には『ブラタモリ』を観るまで、この賤機山の先端で180度水の流れが方向転換していることに気付かなかった一人なので、こちらの方が七不思議に思えた。

そんな賤機山は、静岡の地名発祥の地としても知られている所であり、6世紀頃の豪族の古墳と思われる 賤機山古墳 が山の中腹にあり、小高いこの静岡浅間神社のある一帯が古より市内で中心的な役割を果たしてきた場所であることを今に伝えている。


駿府 ⇒ 賤岡 ⇒ 静岡 に!

賤機山と静岡市街地

余談ながら、ここでなぜ "静岡" という地名になったかということに触れておこう。

江戸時代に単に "府中" と言えばそれは "駿府" を指した。駿府とは "駿河府中" の略で、駿河国の国府が置かれた場所を指し、一方でこの国府の所在地や国府そのものを府中と呼んでいた。この律令時代の名残から 駿府 = 駿河府中 = 府中 が同じ静岡市の中心市街地を指す言葉となった。

江戸時代初頭の1632年の駿府城主 徳川忠長 の改易により、駿府藩 は廃藩となり長らく幕府直轄領となっていたが、大政奉還により江戸時代が終わると、朝敵となった15代 徳川慶喜 よりこの地を相続した田安亀之助こと16代 徳川家達 が、駿府藩(駿河府中藩)の藩知事となり再び立藩となった。

前述した通り、当時の駿府の町は府中と呼ばれていたため、朝敵となった徳川家の存続がまだまだ危うい中、"府中" が天皇や明治政府に対しての "不忠" に通ずるとして、あらぬ疑いをかけられないように駿府を "静岡" と改名し、1869年9月12日に晴れて "静岡藩" となった。

この時、徳川家達が賤機山の麓にある小高い静岡浅間神社前の西草深公園として今も残る新宮兵部の屋敷跡に移り住んでいたことから、賤機山の麓の丘/岡という場所から "賤岡"(しずおか)と考えるも、賤の字に "身分が低い・いやしい" という意味があることから、後に静岡学問所頭となった 向山黄村(むこうやまこうそん)により "静岡" と命名された。

これが "静岡" という地名誕生の経緯であり、少なからずこの静岡浅間神社が建つ賤機山の麓の地が関わっていたようだ。


家康公ゆかりの神社

稚児舞の奉納

話が逸れたが、そんな賤機山の麓に、東京ドームの大きさにほぼ匹敵する約13,600坪にも及ぶ広い境内を持つ静岡浅間神社は、平安時代以降、鎌倉幕府をはじめとして今川家・武田家・織田家・徳川家と時代時代に篤く崇敬され、宝物の寄進、装束類の下賜、社領の安堵など、明治時代まで実に手厚い保護を受けてきた。

特に 徳川家康 とのつながりは深いものがあり、今川家の人質として菩提寺である 臨済寺 に預けられていた家康が、1555年に14歳にしてこの静岡浅間神社にて元服したことは広く知られており、境内には今川義元から賜った 「家康公着初めの腹巻」とも言われる「紅糸威腹巻」(くれないいとおどしはらまき)が残されている。腹巻と言っても今でいう寝冷えを防ぐアレではなく、甲冑のことなので注意。

また大御所時代の1607年には、天下泰平・五穀豊穣を祈願して駿府入城の折に先例に習い 建穂寺 から静岡浅間神社へ「稚児舞」(ちごまい)を奉納したとされ、その後、江戸幕府庇護のもとに毎年この稚児舞の奉納が盛大に執り行われるようになった。

現在でもこの稚児舞の奉納は続いており、毎年4月5日の 廿日会祭 の際に、カタチこそ変われど盛大に執り行われており、「静岡浅間神社廿日会祭の稚児舞楽」として2022年3月23日に、国の重要無形民俗文化財 に指定されている。


浅間神社の女神とは!?

桜の名所の静岡浅間神社

"浅間神社"(あさまじんじゃ / せんげんじんじゃ)という神社名は、関東近郊をはじめ日本全国あちこちで耳にする名前だが、富士山信仰と深く関係のあるこの神社は、富士山麓や富士山を望む地に多く点在している。

その浅間神社の 総本宮 は、B級グルメの「富士宮やきそば」で知られる富士宮市にある 富士山本宮浅間大社 で、古くは 富士大神(ふぢおほかみ)と言われ、現在では 浅間大神(あさまのおおかみ)と言われる 木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやびめのみこと)を主祭神とする神社となっている。

"このはなのさくやびめ" は、木の花が舞うように美しい女性として『古事記』では "木花之佐久夜毘売" として、日本書紀では "木花開耶姫" として登場し、この他にも "木花咲耶姫" とか "木之花咲耶姫" など様々な表記が行われ、また読み方も "姫" がつく場合は、"このはなのさくやひめ" と濁音ではなく清音で読まれることが多い。

火の神または山を鎮める水徳の神として日本一の富士山に鎮座し、広く東日本一帯を守護しており、子宝安産火難消除 などの神として崇められている他、"酒解子神"(さかとけこのかみ)とも言われており、酒づくり の神としても崇められている。

また浅間神社では、木花之佐久夜毘売の名前の "木花" が美しい花の代表格である "" を指すことから桜が多く植えられており、桜が御神木とされている 富士山本宮浅間大社 をはじめ、この静岡浅間神社や 米之宮浅間神社 のように 静岡県のお花見スポット となっている所もある。更には "" が神の使いとなっているのが一般的だ。

先程静岡の地名の所でさらっと触れたが、江戸幕府3代将軍 徳川家光の弟で駿府城主だった徳川忠長が、将軍家光の逆鱗に触れ改易となり、駿河・甲斐の両国を没収されたうえに高崎城にて自害にすることとなったその一因が、家康公ゆかりの静岡浅間神社裏の賤機山で神の使いである猿を狩った事件だったことは、あまりにも有名な出来事だ。

とまぁ~、一般的な浅間神社について話してきたわけだが、私も初めて静岡浅間神社を訪れるまでは、単に静岡市にある浅間神社…と思っていたわけだが、どうやら大きな間違いをしていたようだ。


静岡浅間神社という神社は無い!?

静岡浅間神社

私が初めて静岡浅間神社を参拝したのは、静岡に移住してきて間もない頃なので、かれこれ30年近く前となる。それまでは静岡浅間神社と聞いて、木花之佐久夜毘売命を祀る静岡市にある神社だと思っていたわけだが、訪れてみると実は静岡浅間神社は、神部神社(かんべじんじゃ)・浅間神社(あさまじんじゃ)・大歳御祖神社(おおとしみおやじんじゃ)という 三社の総称 であり、正式名称は「神部神社 淺間神社 大歳御祖神社」で、登記上も神社庁への登録においても "静岡浅間神社" という神社名は存在しないことを知り、大きな勘違いをしていたことに気が付いた。静岡浅間神社という名は、単なる 通称 に過ぎないということだ。

よく見れば総門横の社号標には「神部神社 浅間神社」の文字が刻まれており、境内の建物群のうち 26棟国の重要文化財 に登録されているのだが、その登録名も「神部神社浅間神社」と「大歳御祖神社」の2件になっており、無形民俗文化財として前述の「静岡浅間神社廿日会祭の稚児舞楽」という表記はあるものの、建造物としては "静岡浅間神社" という神社名は存在しない。更に加筆するならば、1971年6月22日に最初に国の重要文化財に指定された時の件名は「神部神社浅間神社大歳御祖神社」と三社が併記されたものだった。

全国各地、名のある神社を訪れると、よく摂末社として境内に多くの神社があるものだが、私が当初 "静岡浅間神社" と聞いて思い描いていたのは、静岡浅間神社を本社として様々な摂社・末社が境内に建っている…というイメージだったのだが、蓋を開けてみたら全く違ったというわけだ。

更には、現在に至るまでの長い神社の歴史の中では、浅間神社はある意味後からやって来た脇役であり、"駿河国総社" という称号も浅間神社に与えられたものではなかった…ということを知り更に驚いた。

そんなことから現在では、静岡浅間神社の名のもとに一括りとなっているが、元々は別宮として独立していた神社が集まったものであることから、今でも祭事などは個々に独立して執り行われている。

こういう意外性のある出遭いや発見があるから、寺社巡りはオモシロいわけだ…。


実は主役だった神部神社!

神部神社 本殿

その三社の内で最も歴史のある神社となっているのが、静岡浅間神社が "駿河国総社" と呼ばれる由縁となっている 神部神社 で、石鳥居がある長谷通り側の総門を正面に建つ大拝殿奥の 本殿 の右側に祀られている。

1804年に着工し10年の年月をかけ1813年に完成した、七間社流造(比翼三間社流造)の本殿の中央一間の相の間を挟み右三間が神部神社で、ここに主祭神として 大己貴命(おおなむちのみこと)が祀られており、延命長寿縁結び除災招福 の神として崇められている。

その歴史は今から2100年近く前の 紀元前 にまで遡り、第10代天皇である崇神天皇(すじんてんのう)の頃にこの地に鎮座したとされ、それ以来この地を治める者に崇拝され、平安時代より駿河の国の総社として崇められてきた。

今でこそ浅間神社が中心のような扱いとなっているが、本来は神部神社がメインと言っても過言ではない神社だったわけだ。


脇役から主役に!浅間神社

静岡浅間神社 手水舎

一方、神部神社とは反対側の 本殿 の左三間に祀られているのが、浅間神社 の主祭神となる前述の 木花之佐久夜毘売命 で、子宝安産火難消除 の神として広く信仰されている。

浅間神社は "静岡浅間神社" という総称とは裏腹に、三社の中では最も歴史が浅い神社となっており、901年 に第60代天皇である醍醐天皇の勅願により、富士山本宮浅間大社 より分霊して "冨士新宮" として神部神社の隣に祀られたとされており、楼門には今も「當國總社 冨士新宮」の扁額が掲げられている。

生彩色(いけさいしき)という漆や膠により貼られた金箔の上から彩色を施すという贅を尽くした特殊な技法と立川流の彫刻により、豪華絢爛な造りを見せているのが神部神社 浅間神社の本殿なのだが、残念ながら通常は見ることが出来ない。

そして「神部神社浅間神社」としては、1971年6月22日に本殿・南中門・北中門・南透塀・中透塀・北透塀・拝殿・舞殿・楼門・南回廊・北回廊・総門が、1999年5月13日には神厩舎・宝庫が 国の重要文化財 となっており、現在までに14棟が重要文化財の指定を受けている。

尚、浅間神社は静岡浅間神社とは異なり「あさまじんじゃ」と読む。これが浅間神社の本来の読み方である。


実は日本一!? 高さ21mの大拝殿!

静岡浅間神社 大拝殿

この神部神社 浅間神社は見どころが多く、煌びやかな彫刻もさることながら、まずは社殿そのものの造りが特徴的で、中でも1810年に再建された桁行七間 梁間四間の入母屋造 本瓦形銅板葺の 大拝殿(おおはいでん)は圧巻だ。

富士山 を模した浅間神社特有の 浅間造 と呼ばれるその造りは、木造神社建築としては異例の高さ21mを誇っており、日本屈指の高さとなっている。以前は静岡浅間神社の公式HPでも高さ25mと記されていて、あの出雲大社の本殿よりも高く木造神社建築としては 日本一 と言われていたが、現在は21mで漆塗り神社建築としては日本一となっている。

またすべて形が異なり畳の入替が出来ないという132畳敷きの広間の天井には、伊川院こと 狩野栄信(かのうながのぶ)と融川院こと 狩野寛信(かのうひろのぶ)による天井画が描かれている。

墨絵の『八方睨の龍』と右手の神部神社の『天人』『迦陵頻伽』を狩野栄信が、『四方睨の龍』と左手の浅間神社の『天人』『迦陵頻伽』を狩野寛信が描いている。この内どこまでも追いかけて睨んでくる『八方睨の龍』が、"静岡浅間神社の七不思議" の1つとなっている。

是非とも参拝後に間近でその社殿の大きさや豪勢な漆塗りの深みのある艶や独特の色合いを体感してほしい。そしてもし内部見学の機会に恵まれたならば、天井画や彫刻の数々を見上げながらじっくりと目に焼き付けてほしい。

ちなみに話は戻るが、かつての出雲大社の本殿はこの大拝殿を遥かに凌ぐ48mとも96mとも言われているが、2000年に巨大な宇豆柱が出土し騒がれたものの、未だ確証はない。


観阿弥 終焉の舞台!

静岡浅間神社 舞殿

そんな大拝殿の正面には、三嶋大社 などと同じように 舞殿(ぶでん)がある。江戸時代後期の1820年に再建されたもので、金物や彫刻は施されているものの 素木造 で、静岡浅間神社にあっては質素な印象だ。舞殿に見られる『飛龍』などの立川流の彫刻もこれに準じており、ここでは色彩は無く彫りそのものが鑑賞できる。

思うに舞殿の主役は舞台上の演者・演目であり、あくまでもそれを引き立たせるための舞台であり、不必要に目立つことなくあえて脇役に徹しているかのような印象だ。

室町時代に、息子の 世阿弥(ぜあみ)とともに を大成させたことで知られる 観阿弥(かんあみ)が、1384年に生涯最後の舞いを披露したのがこの場所だったといい、『風姿花伝』にも記述が見られる。

その後この駿河で世を去ったことから、この静岡浅間神社は "観阿弥 終焉の舞台" としても知られているが、芸能の舞台として広く一般に開放された場所となっており、今も舞殿では奉納行事や催し物などが行われている。


煌びやかな楼門!

静岡浅間神社 楼門

そんな舞殿の手間に建つ 楼門 は、1816年に建てられたもので、三間一戸の八脚楼門形式の入母屋造 本瓦形銅板葺で、上層部の縁が張り出し高欄が巡らされ、さらに扇垂木が四方に広がる立派な造りをしている。

こちらは本殿や大拝殿と同じ異彩を放つベンガラ色の総漆塗の門で、左右に 随神像 が配され『水呑の龍』『虎の子渡し』『獅子』『力士』などの彫刻が見られる。

この内『水呑の龍』は特に素晴らしく、1773年の安永火災の時に、池の水を口に貯えては社殿へと勢いよく吹きかけ火消しをした…とされ、"静岡浅間神社の七不思議" の1つに数えられているので、門をくぐる際には見上げてよく眺めてほしい。


実にシンプルな総門!

静岡浅間神社 総門

1817年に建てられた 総門 は、三間一戸の八脚単層門で、切妻造 本瓦形銅板葺となっているが、大拝殿や楼門のような煌びやかな装飾の類はほとんど無い。

明治の神仏分離令以前には、左右に 仁王像 が安置されていたといい、そう言われれば素木で地味な色合いならお寺の仁王門そのものであり、そう考えれば納得がゆく造りだ。現在その仁王像は、近くの今川家の菩提寺である 臨済寺 の山門へと移されている。

こうして見ると、総門の平凡さに対して楼門がドーンと煌びやかになり、そこを抜けると今度は舞殿で一気に質素な感じとなり、落とすだけ落しといてそこから煌びやかな大拝殿、そして豪華絢爛な本殿へと順々に盛り上がって行く感じで、同時期に造営されたことを考えると、とてもメリハリの利いた社殿の造りを感じる。


なんでも願いが叶う神馬!

静岡浅間神社の左甚五郎作の神馬と、御穂神社の神馬

そんな総門の右手となる駐車場側に、1861年に建てられた 神厩舎 がある。ここに 左甚五郎 作の木馬の『神馬』(しんめ) がある。左甚五郎と言えば、日光東照宮の『眠り猫』で知られる稀代の名工だが、何でもこの神馬に一心に祈れば、何でも願い事が叶うとされており、"叶え馬" とも言われている。

またこの神馬は、1773年の駿府大火により浅間神社が火事に遭った際に、2頭の左甚五郎作の神馬が三保明神(御穂神社)へと逃げ延びその内の1頭が戻ってきた…という、"静岡浅間神社の七不思議" に登場する神馬だ。

日本平 に歌碑が建つ、北原白秋が作詞した静岡民謡の『ちゃっきり節』の20番の歌詞にも、『しづや賎機、浅間さまのしろいお馬よ、三保へお馬よ、なぜ逃げた。ちやっきり ちやっきり ちやっきりよ、きやァるが啼くんて 雨づらよ。』と、この神馬が謡われている。

ちなみによく言われることだが、"きやァるが啼くんて" は、"蛙が鳴くんで" の方言表記で "きやァる" も "て" も誤字ではない。また 御穂神社 にも神馬舎がありここにも神馬があるが、残念ながら現在の木馬は左甚五郎作の逃げ出した神馬ではないようだ。


もう一つの社!大歳御祖神社

赤鳥居

静岡浅間神社の三社の内、神部神社 浅間神社について語ってきたが、もう一社の 大歳御祖神社 は、この二社とは明確に社殿が分かれており、浅間通り側の 赤鳥居 を正面として建てられいる。第15代天皇である応神天皇の時代の 273年 に鎮座したといい、主祭神として 大歳御祖命(おおとしみおやのみこと)を、配神として 雷神 を祀る。

その昔、安倍川沿いにあったという 安倍の市 の守護神として崇められてきた歴史があり、そこより農業や漁業・商工業など幅広く 産業繁栄 の神として崇められている。ちなみに現在も浅間通り商店街では、1月と4月以外の毎月1日に 安倍の市 を開催している。

大歳御祖神社 神門

奥に建つ三間社流造 本瓦形銅板葺の本殿は、1821年に着工し1826年に完成したもので、「大歳御祖神社」として「神部神社浅間神社」とは別に、本殿・中門・透塀が1971年6月22日に 国の重要文化財 に指定されている。

同時期に拝殿や楼門も造られたのだが、こちらは太平洋戦争で焼失してしまい、現在の拝殿は鉄筋コンクリート造のものとなっている。

大歳御祖神社 拝殿

桜の花がとても映える大歳御祖神社だが、県外からの観光客の中には、浅間通りから赤鳥居をくぐり正面に見える大歳御祖神社 = 静岡浅間神社だと思い、ここだけお詣りして帰ってしまう人も見受けられるので、大歳御祖神社は静岡浅間神社の一部でしかないので、くれぐれもそのようなことが無いように!

また静岡浅間神社の駐車場からは遠いため、大拝殿で二社だけお詣りして帰られる方も多いが、特に商売人の方、また 初詣 などで会社の代表として参詣する方は、こちらこそお参りすべき神様であり、商売繁盛 のためにも忘れずに足を運んでほしい。


"東海の日光"とも言われる静岡浅間神社!

静岡浅間神社の立川流彫刻

ここまで神部神社 浅間神社 大歳御祖神社について話してきたが、静岡浅間神社と呼ばれる神社の境内には、他にもたくさんの神社がある。その数は 40社 にも及び 56柱 もの神樣が祀られているといい、文字通り "駿河国総社" となっている。

通常お詣り出来ない神様も多く、そう言う私自身半分もお詣り出来ていないわけだが、今まで語ってきたように静岡浅間神社は "建造物" としてもとても魅力的で見どころの多い神社となっており、それを示すかのように境内にある社殿の内 26棟国の重要文化財 となっている。神部神社 浅間神社の本殿・大拝殿あたりは、いずれ国宝になるだろう…と、個人的には思っている。

家康公ゆかりの神社として、江戸幕府により手厚い保護を受けてきた静岡浅間神社の建物群は、火災等により幾度か焼失を繰り返してきたが、 寛永年間(1624年~1643年)と文化年間(1804年~1817年)~文政年間(1818年~1831年)にかけて大規模な造営が行われ、現在の社殿の多くは1804年から60年余りもの年月をかけて建てられたものとなっている。

その造営費は当時の通貨で10万両と言われており、なかなか現在の貨幣価値に換算するのは難しいのだが、だいたい数十億くらいだったと思われる。

目覚め猫

漆塗りの極彩色を放つその社殿の数々は、久能山東照宮日光東照宮 などの建築物を彷彿させる絢爛豪華な装飾が施されたものが多く、その多くに 善光寺 や諏訪大社などの彫刻で知られる、立川流の初代 立川和四郎 富棟(たてかわわしろう とみむね)や2代目 富昌(とみまさ)・3代目 冨重(とみしげ) をはじめとした一門の彫刻が施されている。

目を凝らせば凝らすほど実に素晴らしい造形美を見せており、その色彩・彫刻の単なる装飾ではない芸術的な美しさから、静岡浅間神社は "東海の日光" の異名を持つ。

今までご紹介してきた神部神社 浅間神社本殿の『張果老』や『粟穂に鶉』、舞殿の『飛龍』、大歳御祖神社の『鳳凰』などはその代表作とされ、この内立川和四郎 富昌が彫った『粟穂に鶉』は、鶉が実に生き生きして余りにもリアルなことから、夜な夜な本殿で鳴く…と言われ、"静岡浅間神社の七不思議" の1つとなっている。

残念なのは、それらの多くが見えない・見られない・見にくい…ということだ。


立川流の彫刻が冴える!八千戈神社

八千戈神社 大茅の輪

そんな素晴らしい立川流の彫刻を語る上で外せない神社が、静岡浅間神社に建つ境内社の1つにある。それが、開運 やスポーツ・武道の 必勝 の神として崇められている 大己貴命(おおなむちのみこと)の荒魂を祀り、この地にあった末社十八社の神々を相殿に祀る 八千戈神社(やちほこじんじゃ)だ。

元々は 徳川家康 が念持仏としていた 摩利支天像 を安置するために造られた 摩利支天社 だったが、残念ながら明治の神仏分離令により、摩利支天像は総門の仁王像と同じく近くの今川家の菩提寺である 臨済寺 へと移され、神社名も八千戈神社となった。

摩利支天は、2007年のNHK大河ドラマ『風林火山』の主人公だった山本勘助が所持していたことからその名が有名となった仏教の守護神で、その名を覚えている方も多いだろう。古くから武士の間には摩利支天信仰があり、楠木正成や毛利元就・前田利家・立花宗茂なども摩利支天を信仰していたとされる。

そんな現在の八千戈神社の社殿は、江戸時代末期の1838年に建てられたもので、本殿は入母屋造 本瓦風銅板葺で、キリっと引き締まった印象の黒漆塗仕上げに金物や立川流の極彩色の彫刻が映える意匠に優れた社殿となっている。

こちらも『麒麟』の彫刻が目を引く中門・南透塀・北透塀と合わせて4棟が、「神部神社浅間神社」の件名のもと1971年6月22日に 国の重要文化財 に指定されている。

八千戈神社

ここで注目したいのが、立川流の素晴らしい彫刻の中でもひときわ映える 蟇股(かえるまた)だ。蟇股に彫られた中国の孝行物語である『二十四考』のうち16個の彫刻は特に有名で、下絵を地元駿府の絵師 中川梅縁 が描き、2代目 立川和四郎 富昌 が彫ったものとされている。

また八千戈神社は写真ではわかりにくいが、静岡浅間神社の境内に無ければ間違いなく単独で立派な観光スポットになっていたであろう、三社に負けず劣らず豪華絢爛な造りをしており、個人的には静岡浅間神社にあって最も立川流の彫刻の素晴らしさが身近に感じられる場所に思える。

家康公のお守り・陣仏とも言える大切な摩利支天像を、久能山東照宮ではなくこの地に安置した所に、静岡浅間神社と家康との深い結びつきを感じるが、それはまたこの神社が並々ならぬものであることを物語っている。

桁行3間のこの大きさでここまで絢爛豪華な造りをした神社は、日本全国巡ってもそうあるものではないだろう。是非とも目に焼き付けて頂きたい神社の1つだ。


静岡浅間神社の社殿を巡ろう!

静岡浅間神社 回廊

この他、木花之佐久夜毘売命の父神である 大山祇命(おおやまつみ)を主祭神とし 日本武尊 を配神として祀る、"山宮" と呼ばれ元々三社と同格の独立した神社だった 麓山神社(はやまじんじゃ)や、医薬 の神として薬剤関係の方に特に崇拝されている 少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)、本居宣長平田篤胤 などの国学者の四柱を祀る 玉鉾神社(たまほこじんじゃ)など、たくさんの神様がこの境内には鎮座している。

この内1822年に建てられた 麓山神社 の本殿・中門・透塀と1824年建築の拝殿、1850年に建てられた 少彦名神社 の本殿が、1971年6月22日に 国の重要文化財 に指定されている。

また階段上の麓山神社の参道に「鳴き石」があるとされ、この石の手前を強く踏むと不思議な音がすると伝えられており "静岡浅間神社の七不思議" の1つとなっている。詳細は不明で真偽の程はわからないが、気になる方は歩いて探してみてほしい。

ちなみにご紹介していない七不思議として、奉納された絵馬から毎夜馬が抜け出し田畑を荒らし回るとのことで、一筆加えて繋ぎとめてしまった…というものがある。こちらは以前は境内にあった「静岡市文化財資料館」で見られたが、閉館に伴い現在は 駿府城公園 近くの2023年オープンの「静岡市歴史博物館」が収蔵している。

主祭神も違えば時代も御利益も様々で、しかもよく神社で見られる摂末社の構えとは異なり元々独立していた歴史があるが故に、どれも堂々とした造りで実に見ごたえのある境内社となっている静岡浅間神社。

初詣や厄祓いなどでしか静岡浅間神社を訪れたことがない方も多いだろう。また大拝殿しかお詣りしない方も多いだろう。一方で少彦名神社はまだしも麓山神社はかなり奥まっており、静岡人でも未だその存在を知らないという人もいるだろう。また別の理由で、100段余りの直階段を前に躊躇している人も多いかもしれない。

だがここは是非一度、参拝目的ではなく 歴史的建造物 としての "建物を見る" という観点で、三社だけでなく一つ一つ境内にある豪壮華麗な建物群を巡ってみてほしい。きっと社殿一つ一つの造りの素晴らしさに改めて気づくとともに、"駿河国総社" として、また "静岡の守護神" として広く信仰を集める静岡浅間神社の別の側面に触れることで、この静岡浅間神社がより一層魅力的に見えてくるのではなかろうか。

桜が咲く大歳御祖神社

芸能の舞台として、またお花見やお祭り・相撲の巡業の場などとして広く一般に開放され、今も昔も庶民に親しまれ続けている静岡浅間神社。

2023年1月の「静岡市歴史博物館」の開館にあたり役目を終えた「静岡市文化財資料館」跡に、2023年のNHK大河ドラマ『どうする家康』の 大河ドラマ館 が整備されている。

『どうする家康』を観て駿府の町に興味を持たれた方は、是非一度、天下人が庇護し、静岡の人々の生活とは切っても切れない関係にあるこの静岡浅間神社へ、足を運んでみてはいかがかな?

星★聖の静岡浅間神社の3つのポイント!

国の重要文化財だけど、静岡浅間神社ではない!?

駿河国総社と言われる "静岡浅間神社" は、神部神社・浅間神社・大歳御祖神社の三社の総称であり通称! 正式には "静岡浅間神社" という神社名は登記上も神社庁への登録も無い。三社以外にも境内社があり、26棟が国の重要文化財に指定されているけど、神社名は "神部神社浅間神社" と "大歳御祖神社" の2件になっているよ!

"東海の日光"と言われる豪壮華麗な建物群をご覧あれ!

異彩を放つベンガラ色の総漆塗による深みのある艶や色合い、日光東照宮を彷彿させる立川流の彫刻美、狩野派による天井画、生彩色などの技法による極彩色の豪壮華麗な建物群、そして左甚五郎 作品と、一ヶ所でこれだけ見られる場所はそう無いよ!しかも無料!

日本屈指の楼閣のような大拝殿に注目!

木造神社建築としては日本屈指の高さ21mの大拝殿!
圧倒的な高さを誇る楼閣のような浅間造の社殿を、間近で見上げてみよう!

静岡浅間神社の見どころ

温泉マイスター 星★聖(ほしたかし) 星★聖(ほし たかし)

静岡浅間神社のおすすめ時期

1月初詣
奉射祭
2月節分祭 3月お花見 4月例祭 5月献茶祭 6月夏越祓 7月七夕祭 8月  9月管絃祭
日待祭
10月つぐら神事 11月新嘗祭 12月年越祓
除夜祭

静岡浅間神社の基本情報

名称 静岡浅間神社
読み方 しずおかせんげんじんじゃ
郵便番号 〒420-0868
所在地 静岡市 葵区宮ヶ崎町102-1
駐車場 あり
お問合せ 054-245-1820
公式HP 静岡浅間神社
するナビ 静岡市の観光スポット
アクセス ①JR東海道線「静岡駅」徒歩28分
⇒静鉄バス「赤鳥居 浅間神社入口 / 浅間神社」下車

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静岡浅間神社のTips
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