大鐘家とは?
静岡県牧之原市にある、紫陽花の名所として知られ「花庄屋」と呼ばれる、1973年に「長屋門」と「母屋」が国の重要文化財に指定された庄屋屋敷。
もともと賤ヶ岳の戦いで豊臣秀吉に敗れ自刃した戦国武将の柴田勝家の家臣で、丸岡城の城代家老だった7代目当主の大鐘藤八郎貞綱が、1597年に福井よりこの地に移り住んだのがその始まりで、江戸時代当初は、江戸屋敷を構える程の3000石の旗本で、後に30~40人の使用人を抱える漁業を中心とした網元庄屋へ転じたとされる。
18世紀前半に建造された切妻造瓦葺の「母屋」は、手斧削りの柱や梁が見られる静岡県最古の古四間取形式の建物で、内部には「へっつい」と言われるかまどがある他、「小堀遠州庭園」や裁きを行った「お白洲」などがある。
18世紀後半に建造された寄棟造茅葺の「長屋門」は、9つの千木が家の格式を物語る堂々たる意匠で、番人部屋や納屋がある。
この他、大鐘家に伝わるお宝が眠る「蔵の史料館」や、裏山に「お稲荷様」や「見晴らし台」がある「あじさい遊歩道」が、門前には「あじさい・酔芙蓉庭園」や御食事処「門膳」がある。
例年1月~5月にかけて、大小約100点の吊るし飾りが母屋を彩る「吊るし飾り展」が開催され、5月下旬~7月上旬にかけて「大鐘家あじさい祭」が行われる。
また9月~10月にかけは、白から赤へと朝夕で色を変化させる「酔芙蓉」が見頃を迎え、11月には「菊花祭」が催される。
大鐘家の見所
大鐘家 案内図
案内図が訪れる度に新調されているのは良いのだが、母屋が主屋になり母屋に戻ったり、あじさい庭園があじさい山道やあじさい遊歩道になったり、あじさい園があじさい・酔芙蓉庭園になったりコロコロ変わるのが困りものだ。
石垣と田沼街道
門前には、相良城~藤枝宿へと抜ける田沼街道が走る。相良城主だった田沼意次も2度この道を通ったとされる。意次失脚後、犬猿の仲だった松平定信により廃城・取壊しとなった相良城の石垣がココに残されている。
長屋門
9つの千木が家の格式を物語る、18世紀後半の江戸時代に建造された、国の重要文化財となっている寄棟造で茅葺屋根の長屋門。向かって左手に番人部屋、右手は農機具や農作物を置く納屋となっている。
母屋
18世紀前半の建造の切妻造瓦葺(明治初頭まで茅葺)で、国の重要文化財。160坪で15部屋あり、30人程いた使用人用の「へっつい」と呼ばれる大きな煮炊き竈とは別に、家族用の「座敷へっつい」がある。お白洲もあったり…
手斧削りの柱や梁
黒松や桜を使用した太い柱や梁には、手斧削りの目がくっきりと見られ、江戸時代の18世紀前半に建てられたことが窺い知れる。刀が振り回せないよう天井は低く、何気に鴨居上にゲベール銃なども展示されている。
蔵の史料館
蔵の史料館には、教科書で目にする柴田勝家像や賤ケ岳の戦いでの大鐘藤八郎貞綱画像の他、伊万里焼などの調度品や、某テレビで3000万円の鑑定がなされた谷文晁や渡辺崋山と椿椿山の合作による掛軸などのお宝が眠っている。
お稲荷様
大鐘家の裏山にある稲荷社。江戸時代には3000石の旗本で、後に大庄屋となった名家であり、名前もオオガネケ(=大金!?)なので、商売繁盛・五穀豊穣のご利益が期待できそう…。
大鐘家 あじさい祭
例年5月末~7月上旬にかけて「大鐘家あじさい祭」が行われ、約35種12,000株の紫陽花が、裏山の「あじさい遊歩道」と門前の「あじさい庭園」の2ヶ所に分かれて、色とりどりの花を咲かせる。
吊るし飾り展
例年1月~5月にかけて、母屋にて盛大に「吊るし飾り展」が行われる。吊るし飾りというと稲取の「雛のつるし飾り」が有名だが、干支や招き猫・狛犬・三番叟などの人形や縁起物をあしらったものや、中には酒田の「傘福」のようなものもある。以前は70点ほどだったが、現在では100点以上になっている。また大鐘家に伝わる御殿飾や雛壇、鎧兜や振り袖などが展示される。ちなみに大鐘家の姓は、功名を立てた戦の折に、大きな釣鐘の旗印を掲げていたことから、信長により命名されたとのこと。
初めて訪れるなら「大鐘家あじさい祭」の時に!
国の重要文化財となっている建造物だけでなく、裏山も含めお庭すべてが楽しめるので、6月が一番おすすめだよ!
注意を払いながら細かく見ていかないと見落とすよ!
特に長屋門の意匠、母屋の手斧削りの柱や梁、お白洲に庭園、へっついにゲベール銃などに注目! お宝が眠る蔵の史料館もスルーしないように!
母屋が華やぐ「吊るし飾り展」もおすすめ!
普段はお世辞にも明るいとは言えない母屋内が、この時ばかりはパッと華やぎキレイだよ!
大鐘家 編