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Vol . 197

源頼家家臣 十三士の墓

Shuzenji

修善寺

2つ星評価

十三士の墓

Presented By 星★聖

十三士の墓(伊豆 修善寺)

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十三士の墓をご覧の皆様へ

十三士の墓じゅうさんしのはかとは?

静岡県伊豆市修善寺にある、鎌倉幕府2代将軍 源頼家に仕えた 家臣13人 のお墓とされる13基の石塔。

もともと東へ200mほど行った南町公会堂の上にあったが、台風被害により甚大な被害を受け、2005年に 修善寺温泉 の高台に位置する 源氏公園 へと改葬された。

すぐ近くに「源頼家の墓」と、頼家の冥福を祈り北条政子が 修禅寺 に寄進した「指月殿」がある。

尚、この十三士は、2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場する13人ではない。

星★聖の名勝・史跡探訪記

十三士の墓の見どころ

今もお傍に仕える十三士!

指月殿

伊豆で最も古い温泉場として知られる伊豆市にある 修善寺温泉

その歴史ある修善寺の温泉街で、風格のある佇まいをみせている建築物が、あの世界的権威のグリーン・ミシュランこと "ギド・ヴェール" にて、見事二つ星に輝いた観光名所であり、伊豆最古の木造建築とされる 指月殿 だ。

源頼朝 の正妻にして "尼将軍" と言われた 北条政子 が、実子でありながら不憫な生涯を送らせてしまった、鎌倉幕府2代将軍 源頼家への切なる想いから 修禅寺 に寄進した経堂なのだが、その指月殿が建つ高台の 源氏公園 の一角には、源頼家の墓 もある。

源頼家の墓

そしてその頼家の墓のお膝元に控えるようにズラリと並び建つのが、この『十三士の墓』だ。そこには数百年の時を超えやっとの思いで主君のそばに辿り着いた、13人の家臣たちの物語がある。


石塔の大きさの違い、新旧の違いが物語るものとは?

源頼家の墓

源頼家の家臣だったというこの十三士は、鎌倉時代の歴史書である『吾妻鏡』によると、頼家が暗殺された6日後の元久元年7月24日(1204年8月20日)に、主君の無念を晴らすべく謀反を企てるも事前に露見してしまい、後に侍所の所司になった 金窪行親(かなくぼ ゆきちか)らの手により討ち取られたとも、追い込まれ殉死したとも言われている。

史書にわずかな記載はあるものの名前すらわからない。今となってはこの建ち並ぶ石塔から慮るしかないのだが、新しい石塔が10基、古いものが3基あり、13人の家臣たちの位の差なのか歳の差なのか、中心寄りの新しい5基と古い1基がやや大きい。

残念ながらこの墓前に立っても、石塔を眺めながらそんなことしか彼らのことはわからないのだが、月日が経ち再訪するたびに、その新旧の差すら判らなくなってきている。

そんな新旧の違いには、この『十三士の墓』の数奇な運命が関係している。


まさに天運! 改葬された十三士の墓

十三士の墓

2004年10月、伊豆に上陸した台風22号は、各地に甚大な被害をもたらした。この修善寺地区も例外ではなく、桂川が氾濫し修善寺のシンボルである 独鈷の湯 は土砂の中へと姿を消し、温泉街でも崖崩れや水害などが起こり、復旧まで月日を要する被害も多々あった。

そんな中、市民生活だけでなく史跡にも被害が及び、その中に改葬を余儀なくされ、この源氏公園へと移ってきた『十三士の墓』もあった。もともとこの源氏公園より200mほど東へ行った南町公会堂のさらに上にあった 御庵洞 と呼ばれる場所に、この『十三士の墓』はあった。

御庵洞は、北条政子の父にして頼家を死に追いやった人物として知られる鎌倉幕府初代執権 北条時政 や頼家が隠栖した庵室があった場所とされており、そこにこの『十三士の墓』も築かれていた。

それが前述の台風の直撃に遭い、多くの石塔が崩壊し潰滅的な被害を受けたのだが、天の巡り合わせというか、2005年7月17日に晴れて主君が眠るこの源氏公園へと改葬されることとなった。

改葬にあたっては、修禅寺開創1200年の記念の年だったこともあり、例年7月に開催されている「頼家祭り」が盛大に執り行われ、その中でこの『十三士の墓』の 開眼供養 も丁重に執り行われた。

そうして13人の忠義の士たちは、主君と再び巡り合うこととなった。


800余年の時を超え相まみえた、頼家と十三士!

十三士の墓

800余年の時を超え、再びお傍にお仕えすることとなった13人の忠義の士。

勝者の歴史においては、影へと追いやられることとなった13人の忠義の士が、時を超え今こうして日の当たる場所へ居る。

改葬時の開眼供養だけでなく、毎年7月の「頼家祭り」の際には、源頼家と十三士の武者行列 が行われるとともに、この場所で 墓前供養 も執り行われている。

この者たちが、今頼家とどんな話をしているのか、どんな思いで傍にいるのか…、目を閉じるとその光景が浮かんできそうだが、儚くも頼家と同じ数奇な運命を辿ることとなったこの13人の霊は、改葬後、以前にもまして修善寺の人々により厚く弔われている。

災いを転じて福となす…という表現が適切だとは思わないが、まさに天運であり、時代の巡り合わせである。


鎌倉殿の13人であって『鎌倉殿の13人』ではない!?

修善寺温泉

小栗旬さんが 北条義時 を演じた、2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』により、源氏ゆかりの 修善寺温泉 は大いに賑わうこととなった。本編後の紀行にて紹介されたスポットはどこも賑わいをみせ、今まで地元民でさえ知らなかったような庚申塔が一基残るだけの 信功院跡 にさえ、足を運ぶ人が見受けられた。

そんな中、奇しくも同じ "鎌倉殿の13人" ということから、『十三士の墓』も大河関連で注目が集まったが、残念ながらこの13人の忠義の士とは顔ぶれが異なり関係はない。

"鎌倉殿の13人" という表現だけなら、たしかに鎌倉殿である頼家に仕えた13人となるのだが、ドラマタイトルの13人ではない。

同じ『吾妻鏡』に登場し、同じ鎌倉殿に仕えた13人とたまたま数字が同じで紛らわしいのだが、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の13人は、源頼朝の死後に2代将軍 源頼家の下で 13人の合議制 を行った、北条時政・北条義時・梶原景時・三浦義澄・和田義盛・比企能員・安達盛長・足立遠元・八田知家の9人の東国武士と、大江広元・三善康信・中原親能・二階堂行政の4人の吏僚を指し、この『十三士の墓』の13人は、前述のように頼家暗殺後に謀反を企てるも露見し命を絶った頼家を慕う家臣たちで顔ぶれが異なる。

だが理由はともあれ、訪れる人が増えたことは彼らにとっても喜ばしいことであり、これもまた時代の巡り合わせなのかもしれない。

今、十三士たちは、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』により墓前に訪れる人たちを、どのような面持ちで見守っているのだろうか…。

星★聖の十三士の墓の3つのポイント!

800余年の時を超え、再びお傍に仕えることとなった十三士だよ!

数奇な運命を辿った鎌倉幕府2代将軍 源頼家と、その家臣であった13人の忠義の士の物語がここにあるよ!
名前すらわからない十三士の墓前に手を合わせたら、建ち並ぶ石塔を眺めながら十三士のことを慮ろう!

例年7月開催の「頼家祭り」へ行こう!

例年7月に開催される「頼家祭り」では、修禅寺 から 源頼家の墓 まで、源頼家と若狭の局、そして十三士の武者行列が行われ、墓前供養も執り行われるよ!

NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の13人ではないよ!

同じ吾妻鏡に登場し同じ鎌倉殿に仕えた13人と紛らわしいが、大河ドラマの13人とは異なるよ!

十三士の墓の見どころ

温泉マイスター 星★聖(ほしたかし) 星★聖(ほし たかし)

十三士の墓のおすすめ時期

1月  2月  3月  4月  5月  6月  7月頼家まつり 8月  9月  10月  11月  12月 

十三士の墓の基本情報

名称 十三士の墓
読み方 じゅうさんしのはか
郵便番号 〒410-2416
所在地 伊豆市 修善寺
駐車場 なし
お問合せ 0558-72-2501(伊豆市観光協会)
するナビ 修善寺の観光スポット
アクセス 伊豆箱根鉄道「修善寺駅」
⇒東海バス「修善寺温泉」下車 徒歩9分
⇒伊豆箱根バス「修善寺温泉」下車 徒歩9分

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