源頼朝が旗揚げするまでの約20年間過ごした所!?
1159年の平治の乱後、14歳で伊豆配流となった源頼朝が、1180年に34歳で旗揚げするまでの約20年間を過ごしたとされる所だが、平安時代末期の遺構は発掘されておらず、史書『吾妻鏡』にも蛭島の記述のみで具体的な場所は不明。ちなみに狩野川に点在した大小の中州の中で、小さい島であったことから「蛭ヶ小島」と言われ出したとか…
蛭ヶ島公園は、秋山富南の蛭島推定地なんだよ!
蛭ヶ島公園は、江戸時代に安久村の秋山富南が『豆州志稿』の編纂過程で蛭ヶ島と推定し、1790年に撰文、韮山代官だった34代 江川英征の家臣 飯田忠晶が『蛭島碑記』を建てた場所で、旧韮山町が2003年~2004年にかけて整備した公園。園内には、1893年に荻原正夫が建てた秋山富南の頒徳碑や、遺跡『蛭ヶ小島』の石碑、梛の葉の縁結びの碑、若き日の源頼朝と北条政子をイメージして2003年に建てられた『蛭ヶ島の夫婦』の銅像がある他、2007年にオープンした「蛭ヶ島茶屋」がある。
『蛭ヶ島の夫婦』の銅像横に立って、一緒に眺めてごらん!
2人の視線の先には雄大な富士山がそびえ、のどかな田園風景が広がっているよ!