『箱根路を わが越えくれば 伊豆の海や 沖の小島に 波の寄る見ゆ』
鎌倉幕府3代将軍 源実朝が22歳の時に、箱根神社への参詣を終え峠を越え 伊豆山神社 へと向かう二所詣の折に、眼下にパーっと大海原が開けその感動を沖に浮かぶ 初島 によせて詠んだ歌だよ! 熱海市と函南町の市町の境に建っていて、「右大臣実朝の歌碑」とも言われているよ!
初島を望む歌に詠まれた光景が見られるよ!
熱海市に別荘を構えていた、三井財閥の要人で富岡製糸場の支配人や王子製紙の社長を務めた藤原銀次郎が、昭和時代の1933年に私財を投じて建立した歌碑で、平成時代の1992年に、歌に詠まれた光景が見られる見晴らしの良い 十国峠 の芝生広場の外れのこの地に移設されたんだよ!
柿本人麻呂・山部赤人・西行などと並び評される歌人だよ!
源実朝は勅撰和歌集に92首も入集している、柿本人麻呂・山部赤人・西行などと並び評される歌人だよ!
家集の『金槐和歌集』をはじめ、藤原定家とも交流があり、小倉百人一首にも鎌倉右大臣として
『世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ 海人の小舟の 綱手かなしも』の歌が選ばれているよ!