前衛的でモダンなお寺へ!
1590年に、徳川家の関東移封に伴い伊豆下田5000石の所領を与えられた初代下田領主 戸田忠次の開基、雪叟紹立を開山としてこの地に移り再建された、山岡鉄舟の筆による『長松山』の扁額を掲げる臨済宗 建長寺派のお寺。元々は建長寺第73世 仏印大光が開いたと伝わり、下田小学校の前身である小学新民学校が置かれていたことでも知られている。上の写真は昔の本堂で、今はその面影はない。建築家である住職が、睡蓮の池に本堂と法堂が浮かぶ前衛的でモダンな寺へと進化させ、新たな寺の歴史が刻まれている…
初代下田領主 戸田忠次のお墓があるよ!
1601年に戸田忠次の子の戸田尊次が、関ヶ原の戦いの功より三河国田原1万石の所領を与えられ国替えとなり、忠次の遺骨も移されたが、第3代下田奉行 石野八兵衛が当地に忠次の墓碑を建てたことを知った曾孫(実際には忠次の孫 戸田忠能の養子)である三河田原藩3代藩主で老中も務めた戸田忠昌が、1690年に再建したのが今のお墓となる。この他境内には、種田山頭火の句碑も建っているよ!
伊豆横道三十三観音の第24番札所だよ!
聖観音菩薩を札観音とする、伊豆横道三十三観音の第24番札所だよ!