かつての船原小学校の校門前に咲くシダレザクラだよ!
明治時代の1873年7月に「大四大区十小区狩野学校分校船原舎」として開校。1889年4月に「中狩野村立中狩野尋常小学校」と改称しその分校となり、鈴木五六九氏所有の土地を借地し校舎を新築。1909年3月にこの地に校舎を新築。1960年に中狩野村が上狩野村と合併して天城湯ヶ島町が発足したことにより「天城湯ヶ島町立船原小学校」と改称。1975年に狩野小学校に統合され廃校。その狩野小学校も2013年に統合により伊豆市立天城小学校と名称を変えている。そんな旧船原小学校の校門前に咲くシダレザクラだ。
現在校門の門柱の左右には「静岡県田方郡天城湯ヶ島町立船原小学校」と「船原小学校跡地」と記された門札が掲げられている。
何とも言えぬ哀愁が漂う場所に咲く枝垂れ桜だよ!
かつて子供たちが学んだ校舎や走り回っていた校庭の面影はもうほとんど無いが、どこか懐かしい何とも言えぬ気持になる場所で、有東木分校跡 を訪れた時に感じたものをココでも感じる。桜の花が散る中、現在は撤去されてしまったが、長らく通学時に子供たちが利用していた国道に架かっていた歩道橋とその脇で時を刻んでいた時計塔の光景は、特に哀愁を感じるものだった。毎朝歩道橋を渡り、振り返りこの時計の針を見て慌ててダッシュする児童の姿が目に浮かぶようだった…
一本桜のような3本の桜だよ!
東海バスのバス停がある国道136号から眺めると石垣上に咲く一本桜のように見えるが、実は3本の桜が寄り添って立っている。石垣上の上船原公民館側から見るとハッキリと独立した木であることが分かり、見る角度によって桜の見え方が変わるのが面白い。上ったり下りたりしながら、ぐるっと花見をしつつ桜の見え方を楽しもう!
同じ頃に傍らに咲く椿も立派で、ピンクの大輪の花を咲かせるよ!